大気環境の情報館

環境(かんきょう)庁の発足と石油危機以降の大気汚染(おせん)対策(たいさく)

環境(かんきょう)庁の発足と石油危機以降の大気汚染(おせん)対策(たいさく)

1970年代に入ると、光化学スモッグなどの健康ひ害が報告されるなど、大気汚染(おせん)に関するさまざまな問題がますます表面化してきました。このような状況(じょうきょう)の中、公害、環境(かんきょう)保護、環境(かんきょう)対策に取り組む行政機関として、1971年に「環境(かんきょう)庁」が発足。これをきっかけに、硫黄(いおう)酸化物(SOx)による大気汚染(おせん)対策などを中心とする産業公害対策(たいさく)は前進しました。

また、公害による健康ひ害者を保護するための制度の整備も進められ、1973年には「公害健康ひ害補償(ほしょう)法」が成立。「著(いちじる)しい大気汚染(おせん)」があり、「その影響(えいきょう)による疾病(しっぺい)の多発」している地域(ちいき)(指定地域(ちいき))においては、その人の病気と大気汚染(おせん)との間に因果関係があるとする、制度的な取り決めが行われました。この法律によって認定された健康ひ害者は、医療費等の補償(ほしょう)の給付を受けられることになりました。

加えて、1970年代の2度にわたる石油危機(きき)が、日本の産業構造を転換(てんかん)させました。企業(きぎょう)は積極的に省資源(しげん)・省エネルギーに取り組むようになり、その結果、産業型大気汚染(おせん)は減少していくようになったのです。

その一方で、自動車の台数が増えていくことで引き起こされる、都市・生活型の大気汚染(おせん)が深刻(しんこく)化していき、早急な対策(たいさく)が求められるようになりました。1978年には、ガソリン自動車から排出(はいしゅつ)されるちっ素酸化物の排出(はいしゅつ)量を、現状から90%以上減らすという「日本版マスキー法(自動車排出(はいしゅつ)ガス規制)規制」が実現。さらに、1981年には、大気汚染(おせん)防止法を一部改正し、特に対策(たいさく)が求められていた、東京、神奈川、大阪の3地域(ちいき)において、ちっ素酸化物の総量規制が行われました。

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