WEB版すこやかライフ ぜん息&COPD(慢性閉塞性肺疾患)のための生活情報誌

すこやかライフNo.50 2017年10月発行

小児ぜん息ぜん息児へのエール:「50号記念座談会」

もっと早く治療を開始すればよかった

田中 本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。

このたび『すこやかライフ』が50号発行を迎えるということで、ぜん息がありながらもアスリートとして活躍されてきたみなさんに、どのようにぜん息と向き合ってきたかなどお話しいただきたいと思います。

では最初に、ぜん息とどう付き合ってきたか、お話しいただけますか。

清水宏保さん清水 元スピードスケート選手の清水宏保です。僕は1974年生まれで、3歳くらいのときにぜん息を発症しましたが、小児ぜん息と診断されたのはもっと後です。というのは当時は今ほどぜん息という病気が知られておらず、両親もかぜの一種だと思っていたので、かぜ薬で対処していました。

ぜん息と診断された後も、ぜん息の治療薬は心臓によくないと言われていたので、高校生の頃まで薬は使用せずに、民間療法で対処しながら競技生活を送っていました。薬を使い始めたのは、大学生になってからです。

今振り返ると、もっと早い段階で治療を受けるべきだったと思います。でも、ほかの人と同じ練習量をこなすことができない悔しさをバネに努力したから、オリンピックでメダルを取ることができたので、ぜん息は僕にとってはハンディーキャップではありません。むしろ、ぜん息だったから、アスリートの基本である「自分の体と向き合う姿勢」ができたのだと思います。

寺川綾さん寺川 元競泳選手の寺川綾です。清水さんと同じで3歳くらいのときに小児ぜん息と診断され、ぜん息のために水泳を始めました。当時は特に治療をしていなかったのですが、成長して体力がついたら発作が出なくなったので、ぜん息のことはすっかり忘れていました。息苦しさを感じても、練習がきついからだと思っていたのですが、あるときコーチから「呼吸が変だ」と言われて医師に診てもらい、ようやくそこで、自分がぜん息だと認識しました。

薬を使った治療を始めたら練習がすごく楽になり、自己ベストを更新し続けて、日本記録を出すことができました。そのとき初めて、息苦しさは、ぜん息によるものだったのだと気づきました。

今では症状が出ることはありませんが、治らない病気だと聞いたので、ずっと長期管理薬は続けています。

竹内択さん竹内 スキージャンプ選手の竹内択です。僕は子どもの頃はぜん息ではありませんでした。18、19歳のときに、モモを食べたら喉がかゆくなったので検査したら、モモやリンゴ、スギなどのアレルギーがあることがわかりました。さらに詳しく検査したところ、気管支ぜん息もあると診断されたのです。

そのとき医師から治療を勧められましたが、せきが出ることはなかったので、治療をせずに過ごしていました。すると2、3年後にぜん息の症状が出始め、ソチオリンピックを目前に控えた2013年末からせき込むようになり、背中が痛くなって。でも「腹筋が鍛えられるから」と楽観的に考えていました。そんなふうに軽くとらえていたのですが、症状が悪化し、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(チャーグ・ストラウス症候群)という、血管に炎症が生じるアレルギー性の難病だということがわかりました。

これ以後、毎日の吸入と定期的な通院を続けています。今は、難病の症状、ぜん息の症状ともに出ていません。

最近は、ゾレア®という皮下注射の治療も受けています。高額な治療法なのですが、18年に平昌(ピョンチャン)オリンピックがあるので、それまでは続けようと思っています。だからなおさら、賞金をたくさん稼がなくては(笑)。

田中 なるほど。治療がモチベーションにつながっているのですね。

それぞれ世代が違うので、ぜん息の認知度や治療の考え方などの変遷がわかり、たいへん興味深いお話ですね。

清水宏保さん、寺川綾さん、竹内択さん

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