マイライフ 明日を夢見て

今やりたいことに熱中してぜん息を乗り越える!

笑顔の米田 功さん

米田 功 Yoneda Isao

2004年、アテネオリンピック男子体操団体金メダリストの米田功さん。現在では、体操クラブの監督やメンタルトレーナーとして、さまざまな活動を行っています。輝かしい経歴を持ち、今なお活躍されている米田さんも、子どもの頃はぜん息に悩まされていました。

ぜん息克服のために体操の道へ

物心がついた時には、すでにぜん息だったという米田さん。ぜん息克服のため、7歳から体操を始めたといいますが、きっかけは、体が弱いことを心配していた母や、小学校の先生からのすすめだったそうです。
「小さい頃から頻繁に病院に通っていたそうです。そんな病気がちだった僕を母は心配していました。ぜん息にいいと聞いた水泳もやりましたが、水が苦手でなかなかうまく泳げませんでした。ある日、母が側転をしながら下校している小学生の姿を見て、『これができたらヒーローになれるのでは』と思い、僕に体操をすすめたそうです。それと同じタイミングで、僕を気にかけてくれていた小学校の担任の先生が、休み時間の僕を見て、『鉄棒が好きなようだから体操をやってみては』と母にすすめてくれていました。それがきっかけで、体操教室に行くようになりました」

ぜん息であることはマイナスではない

インタビューに答える米田 功さん

夜寝る時に発作が起きることがあったといい、試合の遠征などでの宿泊は憂鬱だったそうです。
「とにかく周りの人にぜん息で苦しんでいる姿を見られるのが嫌でした。もちろん自分がしんどいというのもあるのですが、ヒューヒューという音を聞かれるのが恥ずかしい。それにみんなが寝ているのに迷惑をかけるのも嫌でした。発作が起きるとトイレに駆け込んで、そこで一晩過ごすこともありました」ぐっすり眠れない状態で次の日を迎えたために、体が思うように動かないこともあったそう。しかし、“ぜん息がマイナスになる”と思うことはなかったといいます。
「日々の練習を乗り切ることに一生懸命だったので、ぜん息のつらさは練習の大変さと横並びだったように思います。気を張っていたのか、競技中や練習中に発作が出たことは一度もありませんでした。ぜん息だったことで、精神的に強くなれた気がします」

自分の好きなことに熱中する時間を大切に

年齢を重ねるにつれて、ぜん息の症状は少しずつ軽くなり、大学生の頃にはほぼ出なくなったといいます。今でもホコリっぽい場所では、気をつけるようにしているそうです。
2004年にアテネオリンピックで金メダルを獲得した米田さんは、現在、所属チームや個人のクラブで、将来のオリンピック選手や子どもたちに体操を教えています。そんな米田さんに、子どもたちに大切にしてもらいたいことを聞きました。
「今も活躍しているトップ選手や、僕自身の体験から考えると、自分の好きなことに熱中する時間はすごく大切だと思います。今はまだ何が好きかよくわからないかもしれない。でもそれが後々自分の将来につながるかもしれません。今のうちに、夢中になって取り組む時間を大切にしてほしいですね」

ぜん(そく)のみんなへメッセージ

(ぼく)()どもの(ころ)からぜん(そく)でしたが、体操(たいそう)(とお)して、ぜん(そく)でも自分(じぶん)可能性(かのうせい)無限大(むげんだい)にあることを()りました。
大変(たいへん)(とき)もあると(おも)いますが、いろんなことに挑戦(ちょうせん)して、(あか)るい未来(みらい)目指(めざ)しましょう。

米田 功さん 写真

元 体操競技選手 米田 功さん

プロフィール

1977年8月20日生まれ。大阪府出身。7歳から体操を始め、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得。2009年からメンタルトレーナーとしての活動をスタート。2012年には米田功体操クラブを設立。2013年からは、自身が所属していた徳洲会体操クラブで監督を務め、次世代のオリンピック選手を指導している。

サイン色紙プレゼント(10名様)

色紙にサインする米田 功さん

米田功さんのメッセージ入りサイン色紙プレゼントのお知らせ

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で10名の方に米田功さんのメッセージ入りサイン色紙をプレゼントいたします。ふるってご応募ください。

  • ※応募締め切り:2020年5月28日