マイライフ 明日を夢見て

ぜん息を忘れるほど好きだった
「お笑いの世界」で夢を実現

天野 ひろゆきさん

天野 ひろゆき Amano Hiroyuki

1991年に、ウド鈴木さんとお笑いコンビ「キャイ~ン」を結成した天野ひろゆきさん。
以来30年にわたり、お笑いはもちろん、俳優や歌手、声優、映画監督など幅広い活動を続けています。
そんな天野さんにも、ぜん息に悩んだ少年時代がありました。

ぜん息の経験を通して人の痛みもわかるように

ウド鈴木さんのボケに、「いい~加減にしろ!」と、大きな声でツッコミを入れる天野ひろゆきさん。
そのよく通る声からは想像もつきませんが、小学生のころはぜん息でつらい夜を過ごすことがあったそうです。
「昼間は当たり前にできていた呼吸が、夜、急に細いストローで息をするように苦しくなるんです。喉からヒューヒューという音が聞こえると、子どもながらに、もうどうすることもできない思いがしました」
そうした発作は、それほど頻繁に起こることはなかったそうですが、体育の授業では、呼吸が苦しくなる長距離走やサッカーなどがとても嫌だったといいます。
しかし、そうした経験をする中で、他のぜん息の子に対して、そのつらさや心の痛みがわかるようになったと話します。

病気を忘れ夢中になったテレビの「お笑いの世界」

天野 ひろゆきさん

中学になるころには次第に症状が出なくなったという天野さん。
「部活動で軟式テニスを始めたのも、よかったのかもしれません。瞬発力を使う競技は意外に平気で、運動部を続けたのは、ぜん息にはよい影響があったのだと思います」
ちょうどこのころ、B&Bやツービートなどの漫才ブームが起こり、「お笑いの世界」に強く惹かれた天野さんは、自分でも心配になるくらい(笑)、毎日のようにテレビを観ていたそうです。
「そんな僕を、親は注意しませんでした。ぜん息のことを忘れて自分の好きなことに夢中になっているのを、見守っていてくれていたんだと思います。きっと僕を信じてくれていたんですね」

好きなものを見つけたら静かに見守ってほしい

大学に進学してからも、周りが就職活動をする中で、テレビやお笑いへの思いを断ち切れなかったという天野さん。
そしていよいよ卒業となったとき、現在所属する事務所に「僕、入りたいんですけど」と電話をすると、まさかの「はいどうぞ」という返事。次の日事務所に行くと、ちょうど若手のお笑いライブを企画していたタイミングで即採用。
「そのライブで運命的に出会ったのがウドちゃんでした(笑)」
以来、歌やお芝居へも活躍の場を広げてきた天野さん。声が命の仕事ですから、普段から喉に負担をかけないようにしたり、「のどスプレー」でケアするなど気を配っているそうです。
ぜん息と向き合っている皆さんにアドバイスをお願いすると、「ぜん息の苦しさは、本人が乗り越えようとする気持ちが大切です。でも、そのことばかりを考えるのではなく、自分自身が夢中になれるものを見つけてほしいと思います。僕にとってそれが「お笑いの世界」だったように、スポーツでもなんでもいいんです。親御さんは、そんな子どもたちを信じて見守ってあげてください」との言葉をいただきました。

ぜん(そく)のみんなへメッセージ

(ぼく)()どものころ、ぜん(そく)(わす)れさせてくれる「お(わら)い」にとても(たす)けられました。
ぜひ、(みな)さんも夢中(むちゅう)になれるものを()つけてください。
「なんか、()きるって(たの)しいね!」って(かん)じられるよう、一緒(いっしょ)頑張(がんば)りましょう。

天野 ひろゆきさん

お笑いタレント 天野 ひろゆき

プロフィール

1970年3月24日生まれ。愛知県出身。1991年にウド鈴木さんとお笑いコンビ「キャイ~ン」を結成。“アマノッチ”の愛称で親しまれ、コンビではツッコミを担当。コンビとしての出演番組にフジテレビ「もしもツアーズ」、単独での出演番組にNHK「うまいッ!」フジテレビ「プレミアの巣窟」など多くの番組に出演中。2020年6月にYouTubeチャンネル「キャイ~ンのティアチャンネル」を開設、活動のフィールドをさらに広げている。

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天野 ひろゆきさん

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  • 応募締め切り:2021年5月26日