ゴルフを中心に、スポーツキャスターとして全国を飛び回っている秋山真凜さん。ご自身も、小学生のときからプロをめざしてゴルフに打ち込み、競技を離れた現在も練習は欠かさず腕前は健在です。そんな秋山さんは、小学生の頃から現在まで、常にプラス思考でぜん息と向き合ってきました。
スポーツキャスターを始めてすぐの仕事が、タイガー・ウッズ選手のラウンドリポーターだったという秋山真凜さん。プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの監督を務めた秋山幸二さんを父に持ち、自身も5歳からゴルフを始めるなど、スポーツと深い関わりを持ってきました。
そんな秋山さんですが、物心ついたときには小児ぜん息があり「小学校に入ると、体育の授業や友だちと鬼ごっこしたときなど急に咳が出て、それがぜん息の増悪(発作)だと認識するようになりました」。
このため、走る動作を控えていたこともあったそうですが、どれくらい心拍数が上がると増悪が起きやすいのか徐々にわかるようになり、「それを感覚的に見極めながら、ぜん息と向き合うようになりました」と話します。
母や祖母も外出先で秋山さんの増悪に対応できるよう、医師に治療薬や吸入器の使い方を教わりきめ細かにサポート。当時トレーニングをしてくれていたコーチからも、ぜん息を考慮した練習メニューによってアスリートとして支障が出ないレベルに症状を抑えることができると教えられ、「ぜん息があっても頑張れるという勇気をもらいました」と振り返ります。こうしてぜん息の不安よりゴルフができる楽しさが大きくなり、ぜん息は自分にとっての「当たり前」であり、「マイナスなもの」とは思わないようになっていきました。
しかし、中学生のときに母が重い病気になり、看病を優先してゴルフから離れることに。思春期での出来事でしたが、幼い頃から吸入器に入れる薬の量なども教えてくれた母のおかげで、その後もぜん息を自分で管理することができたそうです。
高校卒業後、福岡から上京して大学に入り一人暮らしを初めて経験。環境の変化によって大きな増悪が起きたり、自分にあった治療方針の医師を見つけるのに苦労した秋山さんでしたが、通訳の仕事を始めたりゴルフの練習を再開したりと、日々の生活が充実するなかで体調も落ち着いていきました。
社会人になってからは、ゴルフの大会でキャスターの仕事が続くときや、季節の変わり目には常備薬や吸入器を携帯し、部屋の湿度にも気をつけているとのこと。父の幸二さんも常に真凜さんを気にかけ、会ったときの最初の言葉は「ぜん息大丈夫か?」だそうです。
今後はもっと海外での仕事にも挑戦したいという秋山さん。読者の皆さんには「ご家族の方には、お子さんが苦しいと感じたとき安心して伝えられる環境をつくってほしいです。子どもたちは、ぜん息は大変だけど、だんだんつきあい方がわかってくるので、あせらずに自分が面白いと思うことを見つけ毎日を楽しく過ごしてください」というメッセージをいただきました。
ぜん息を持つお子さんの保護者は、病気に対する心配もあり、治療の管理をご自分だけで行ってしまうケースが多いです。しかし、そのまま年齢を重ねてしまうと病気を自分事としてとらえられず、アドヒアランスが低下し、コントロールが悪くなるケースも経験します。幼児期後半からは患者さん本人も自分の病気について知り、治療に参加できるように促していけるとよいと思います。
国立病院機構相模原病院 臨床研究センター アレルギー性疾患研究部長 佐藤さくら先生
1996年、福岡県生まれ。5歳からゴルフを始め、小学生でプロゴルファーをめざし、中学時代には日本女子アマにも出場。その後、母の病気で競技ゴルフからは離れるが、上智大学進学後にゴルフを再開。卒業後はスポーツキャスターやリポーターとして活躍。英語・韓国語が堪能なことから通訳も務める。父親は元プロ野球選手で、福岡ソフトバンクホークスの監督を務めた秋山幸二氏。
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