2024年パリオリンピックのフェンシング・女子フルーレ団体で銅メダルを獲得した東晟良さん。ぜん息と長く付き合いながら競技を続け、母の果たせなかった夢を実現しました。
3歳頃からぜん息の症状が出始めました。病院に行ってから保育園や学校に通うことが多かったです。ぜん息薬の吸入は朝と夜にしていました。
ずっと、のどがヒューヒュー言っていて、毎日吸入していました。記憶にあるのは小学校の時。保健室に行って、でも保健室に行ったところで治るものではなく、ベッドで横になると呼吸が苦しいので、ベッドに座りっぱなし……ということがあって、けっこうきつかったですね。吸入は生活の一部で、当たり前のようにしていました。歯磨き感覚です。
1歳上の姉・
ウォーミングアップの際にダッシュをすると息が苦しくなりました。自分がぜん息だから苦しいのか、ダッシュをしているから苦しいのか分からなくて、先輩に「胸のあたり、苦しくないですか?」と聞いたこともあります。フェンシングはマスクをするので、一層息苦しい。日々の吸入をきちんとして、ほこりっぽくならないようそうじをすることを心がけました。試合中は大きく呼吸をするよう、呼吸の仕方を意識していました。
東京オリンピックでは姉とともに、姉妹出場を果たしました。お母さんが喜んでくれたのと、姉妹で出場するのは史上初だったので、フェンシングを続けて良かったと思いました。
年齢を重ねるごとに、ぜん息の症状は落ち着いてきましたが、オリンピックイヤーの24年のはじめ頃、夜に呼吸が苦しくなって、寝られない日が続き、睡眠の質が下がりました。医療機関を受診し、医師からぜん息の悪化だと指摘をされたため、指導に従って薬で対処しました。その後、身体の状態は元に戻りましたが、治ったと思っても症状が出ることはあるので、日々のコントロールの大切さを改めて感じました。パリオリンピックでは3位決定戦で接戦を制して銅メダル。パリではメダルを絶対に取りたいと思っていましたし、W杯個人で銀メダルを取った時とは比べ物にならない、今までにないうれしい瞬間でした。
フェンシング日本代表選手の中には、他にもぜん息の選手がいて、「薬が一緒やな」「めっちゃ、ヒューヒュー言うなあ」などの会話をしたこともあります。どんな条件でも勝てるようにするのが当たり前だと思うので、「ぜん息があるから無理だった」という言い訳はしたくない。気持ちの部分は強くなったと思います。私は目標を持ったら、折れることがない。しんどいからやめるのではなく、良くなるようにする。目標を持つことが大事だと思います。
今後は、2028年ロサンゼルス五輪で金メダルを取ることが目標です。剣さばきがかっこよいフェンシングの魅力を多くの人に知ってほしいです。ぜん息は日々の吸入や自己管理をしっかりしていくと、大人になっていくにつれて良くなっていく場合が多いので、今ぜん息で苦しんでいるみなさんも、諦めずに治療してほしいです。
日々の吸入を「歯磨き感覚」として受け入れ、適切に管理していること、そして「ぜん息を言い訳にしない」という強い意志は、多くのぜん息患者に勇気と希望を与える素晴らしい姿勢です。運動で
国立病院機構三重病院臨床研究部長 長尾みづほ先生
1999年生まれ、和歌山県出身。日本体育大学卒業、共同カイテック株式会社所属。小学4年生でフェンシングを始める。高校2年生だった2016年、アジアジュニア・カデ選手権金メダル、2018年のワールドカップ女子フルーレ個人で銀メダルを獲得。2021年東京オリンピック出場、2024年パリオリンピック女子フルーレ団体銅。
東晟良さんのサイン色紙を、アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で10名様にプレゼントいたします。下記の応募フォームから、必要事項ご入力の上、ご応募ください。
※応募締め切り:2025年5月31日
(アンケートはがき差し出し有効期限)