本文へ移動

知っておきましょう、「職業性ぜん息」のこと
②「職業性ぜん息」の歴史〜関東大震災からの復興時に日本初の報告が!~

「職業性ぜん息」は、その名の通り、職場で発生するさまざまなアレルゲン(原因物質)によって発症するぜん息です。あらゆる職場で起こりうる職業性ぜん息について、「職業性アレルギー疾患診療ガイドライン2016」の編集に携わった群馬大学名誉教授で、上武呼吸科器科内科病院病院長の土橋邦生先生にいろいろ伺いました。第2回目の今回は、職業性ぜん息の歴史をご紹介します。

ポイント!

報告例が増加し、日本でも職業性ぜん息の診療・研究が活発に!

土橋 邦生 先生 上武呼吸器科内科病院病院長
群馬大学名誉教授
土橋 邦生 先生

300年以上前にイタリアで紹介されていた職業性ぜん息

人とぜん息との関わりはとても古く、医学の祖と言われる古代ギリシアのヒポクラテスの時代(紀元前4〜5世紀)にはすでにその記述があります。

職業性ぜん息については、産業医学の父とうたわれる18世紀イタリアの医師、ベルナルディーノ・ラマツィーニの著書『働く人々の病気』の中で、詳しく記されています。そこでは、気管支ぜん息と有機粉塵との関連が指摘されていて、パン職人の小麦粉ぜん息や絹を取り扱う業者の絹ぜん息など、さまざまな職業性ぜん息が紹介されています。職業性ぜん息を世に知らしめた発端と言えるでしょう。

日本初の職業性ぜん息は関東大震災がきっかけ

日本で初めて職業性ぜん息の報告が出たのは、1926年のことでした。ちょうど今から100年前に発生した関東大震災がそのきっかけです。震災からの復興のため、大量の米杉(アメリカ由来の日本の杉と異なる品種)が輸入され、その加工にあたった建具職人のぜん息症状が多数報告されたのです。このため「米杉ぜん息」と呼ばれています。

その後、コンニャク製造業者が集団発症したコンニャクぜん息、牡蠣養殖業者のホヤぜん息、そのほか、蕎麦ぜん息、椎茸ぜん息など次々と職業性ぜん息が報告され、日本においてこの病気の診断・治療や研究が盛んになりました。

日本版の職業性アレルギー疾患診療ガイドラインは2013年に発行

1970年には「職業アレルギー研究会」が発足し、職業性ぜん息を含む職業性アレルギー疾患の本格的な研究がスタートしています。やがてこの組織が発展して、1993年に第1回「日本職業アレルギー学会」が開催されました。2002年からは「日本職業・環境アレルギー学会」と名称を変更して、環境を含むより幅広い領域を網羅しながら、活発な研究活動を展開しています。この活動の一環として同学会は、2013年に『職業性アレルギー疾患診療ガイドライン』を、2016年にはその改訂版を発行しています。職業性ぜん息などの存在を広く医療界と社会に知らしめるとともに、これまでに報告されてきた職業性ぜん息の原因物質をすべて網羅し、病気の診断基準や治療、予防法を明確にしました。欧米では、その重要性が早くから認識され職業性ぜん息の診療ガイドラインが存在していましたが、日本ではこれが初めてのガイドラインでした。ガイドラインの発行によって、職業性ぜん息の早期発見・治療、そして予防に一層貢献できるのではないかと期待されています。

次回は、ガイドラインにも記された、職業性ぜん息を引き起こす多種多様な原因物質やそれに関連する職業などをご紹介します。

土橋 邦生(どばし・くにお)先生

1978年群馬大学医学部卒業。博士(医学)。2005年同大学院保健学研究科教授を経て、2018年より上武呼吸器科内科病院病院長。群馬大学名誉教授。日本職業・環境アレルギー学会理事長を務める。「職業性アレルギー疾患診療ガイドライン」の編集・発行(2013年)および改訂(2016年)に取り組む。日本呼吸器学会指導医、日本アレルギー学会指導医など。第66回日本アレルギー学会学術大会大会長。第41回日本職業・環境アレルギー学会学術大会大会長。