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■公害の原因尼崎の街は尼崎城の城下町として栄えていました。日露戦争後に工業化が進み、満州事変後に、鉄鋼業が発展し、臨海部に火力発電所が集中的に建設されます。1939年には尼崎にある4つの火力発電所の発電量合計は61万2600キロワットで、全国の火力発電所総出力の31%を占めるまでになります。尼崎は「鉄のまち」とよばれるようになりました。1960年代に石炭から石油へ燃料が転換される中で、工場の煙による大気汚染はひどくなり、ぜん息や慢性気管支炎などの患者が多発していきます。また、1970年代からは国道43号と阪神高速道路などによる自動車からの排ガスの大気汚染が加わりました。 ■裁判の内容1988年3月に改正公害健康被害補償法施行により、大気汚染指定地域41か所の全面解除と公害患者の新規認定が打ち切られました。しかし尼崎市では、自動車排気ガスを中心とした二酸化窒素や浮遊粒子状物質の測定値は悪化しており、大気汚染はひどさを増していました。そこで、1988年12月、尼崎市の公害病認定患者とその遺族が国、阪神高速道路公団と、電力、鉄鋼など企業9社を相手とし、大気汚染物質の排出差し止めと総額約118億円の損害賠償を求めて裁判を起こしました。国の環境行政の転換を求めた裁判です。工場とは1999年2月17日、解決金支払いと今後の公害防止対策などを条件に、被告企業との間で和解が成立しました。国・高速道路公団とは、2000年1月31日の神戸地裁判決で道路公害による健康被害を認め、汚染物質排出差止(道路供用の差止)を認めました。差止が認められた全国で初めての裁判です。2000年12月8日に和解が成立しましたが、その後、原告団が和解条項の「大型車の交通規制」条項の実行を求めて2002年10月15日に公害等調整委員会に申し立て、翌年同委員会が原告団の主張を認める斡旋案を提示し、双方同意しました。抜本的対策の実施を求める原告団と国・公団との間での公開協議が現在も続けられています。2004年10月1日には、国道43号などにおいて、窒素酸化物(NOx)と粒子状物質(PM)の排出基準を満たさない大型ディーゼル車を兵庫県が規制し、大気汚染を少なくする取り組みが行われています。 また、原告である公害患者は、被告企業との和解金の一部を使って、1999年には患者の健康回復や町の再生を図るための活動拠点「尼崎ひと・まち・赤とんぼセンター」、2001年には「尼崎南部再生研究室」を開設して、まちづくりを進めています。 |
![]() 大型車がひしめきあう国道43号 2004年4月 ![]() 和解確認式で頭を下げる被告企業 1999年2月17日 |
写真は『尼崎大気汚染公害事件史』より
<原告>尼崎南部在住もまたは通勤している公害認定病患者とその遺族
<被告>
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<判決・和解>1999年2月17日 企業と和解
・解決金24億2千万円支払う
・企業は公害防止対策に努力する 2000年1月31日 判決(神戸地裁)
2000年12月8日 国・阪神高速道路公団と和解
・5省庁(警察庁・環境庁・通商産業省・運輸省・建設省)が連携し、沿道環境対策に取り組む
・自動車排出ガスの低減のために対策を行う ・大型車の交通規制の検討や交通の転換を行う ・大気環境の調査を行う ・健康影響調査を行う |
■現地で学ぶには
施設名 | 尼崎市立地域研究史料館 | ![]() |
URL | http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/ | |
ama-chiiki-shiryokan@city.amagasaki.hyogo.jp | ||
利用案内 | 開館時間 午前9時~午後5時30分 休館日 火曜日、祝日、年末年始 |
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住所 | 〒660-0881 尼崎市昭和通2-7-16 尼崎市総合文化センター7階 | |
電話 | 06-6482-5246 | |
FAX | 06-6482-5244 | |
施設の説明 | 尼崎市立地域研究史料館は、尼崎市史編修室を発展させる形で1975年に開館しました。尼崎市総務局に属しています。尼崎市の文書館施設です。 | |
所蔵資料 | 古文書、近現代文書、図書、行政文書、地図や写真、ビラなど、尼崎地域の歴史に関する文書・記録・史料類を幅広く集めて保存公開しています。 尼崎大気汚染公害裁判の資料が原告団である尼崎公害患者・家族の会から寄贈されています。 |
団体名 | 尼崎公害患者・家族の会 |
住所 | 〒660-0823 尼崎市大物町1-8-10 |
電話 | 06-6401-4462 |
FAX | 06-6401-4462 |