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■公害の原因千葉市の海岸部は遠浅の干潟で、良好な漁場であり海苔の産地、潮干狩りができる場所でした。第2次世界大戦中の1940年に海軍省が戦闘機を作るために60万坪を埋め立てましたが、戦後は朝鮮戦争で財をなした川崎重工が製鉄部門を分離独立させて跡地で川崎製鉄株式会社を創業しました。1957年ごろから住民は大気汚染に悩まされ、1972年から周辺住民や県立千葉高校による自主測定運動が広がり、公害反対運動が行われました。 ■裁判の内容1975年に川崎製鉄の増設(6号高炉建設)を千葉県と千葉市が許可したことで、公害病の認定を受けている患者と地域住民によって裁判を起こしました。要求は6号高炉の建設・操業中止と環境基準の順守、患者原告への損害賠償の3つです。裁判の最中の1988年、公害被害者を救済する公害健康被害補償法が、大気汚染による公害患者の新規認定を打ち切りました。千葉川鉄公害訴訟は、公害健康被害補償法の新規認定打ち切りの判断が正しかったのかを問う裁判にもなりました。財界などの厳しい「巻き返し」の中で、裁判は長期化しましたが、1988年11月17日に千葉地裁は川崎製鉄の排出する大気汚染と住民・原告患者らの健康被害との法的因果関係を明確に認め、被告の川崎製鉄に損害賠償を命じ、原告勝訴の判決を言い渡しました。その後、1992年8月10日東京高等裁判所で和解が成立しました。 この裁判で、大気汚染と公害患者の病気との法的因果関係が認められたことは、後に続く各地の大気汚染公害裁判の励みとなりました。 |
川崎製鉄からの煙が市街地をおおっています 第1回口頭弁論に向かう原告団千葉地裁前 1975年9月22日 |
写真は全国公害患者の会連合会『終わらぬ公害』(1984)
千葉川鉄公害訴訟原告団他『生きる』(1985)より
<原告>公害病認定患者とその遺族、公害の差止を求める川鉄川崎製鉄所周辺(公害指定地域)に居住もしくは勤務地を有する市民
<被告>
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<判決・和解>1988年11月17日 判決
1992年8月10日 和解
原告患者に和解金2億6千5百万円支払う
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■住民による公害解決方法裁判千葉の川崎製鉄による大気汚染の様子や、被害の実態、企業と公害患者の主張の違いがわかります |
■現地で学ぶには
施設名 | 立教大学共生社会研究センター | |
URL | http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/RCCCS/ | |
kyousei@rikkyo.ac.jp | ||
利用案内 | 月~金曜日(祝日をのぞく) 10:00~12:00 13:00~16:00 ※ただし立教大学の一斉休業日のほか、資料整理などのため臨時に閉館する場合もあります。臨時閉館についてはあらかじめセンターホームページなどでお知らせいたします。 |
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住所 | 〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1 | |
電話 | 03-3985-4457 | |
FAX | 03-3985-4458 | |
施設の説明 | 立教大学共生社会研究センター(以後、「センター」)は、2009年3月に埼玉大学と立教大学との間で交わされた覚書に基づき、埼玉大学共生社会教育研究センター所蔵の市民運動・住民運動の資料の移管を受けて、2010年4月に活動を開始しました。 現在は立教大学池袋キャンパス内のメーザーライブラリー記念館新館(丹下健三設計)で、戦後の日本、そして海外各地で草の根の市民たちが展開した様々な活動に関する資料を保存・整理・公開しています。 |
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所蔵資料 | センターでは、公害・環境問題だけではなく、平和運動、女性運動など様々な分野の資料を所蔵しています。 千葉川鉄公害訴訟資料 宇井純公害問題資料コレクション 各地の火力発電所建設反対運動の資料(伊達火力、渥美火力、黒井火力) 伊方原発行政訴訟資料 横浜新貨物線反対運動資料 練馬母親連絡会資料 「べ平連」関連資料 市民活動資料コレクション(日本・海外のミニコミ・機関誌 約26万点) など |