記録で見る大気汚染と裁判
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川崎公害裁判

■公害の原因

近世は湾岸部が新田開発され、農業として水田や桃・梨の栽培がおこなわれ、大師河原では塩田で塩が作られていました。近代に入ってからは、ノリ養殖がおこなわれていました。
1910年ごろから工業化が進み、湾岸部では日本鋼管を皮切りに、鉄鋼・電力・石油化学コンビナートが次々と立地し、臨海工業地帯を形成していきます。1955年ごろにはいちじくの葉が一夜で大量に枯れるなど、大気汚染が深刻になっていきます。
また、工場に隣接して幹線道路が建設され、工場への原材料、製品の搬出入、物流分野での自動車依存度が高いこと、川崎区発着の貨物量が多いこと、通過交通量が多いことから、道路の大気汚染が問題になっていきます。

■裁判の内容

川崎市は市独自に1970年から発生源対策・患者救済を行ってきました。しかし、1978年に国は二酸化窒素の環境基準を緩和し、患者救済を行う公害健康被害補償法を改正して新たな認定を行わない動きがあり、公害病患者が多い川崎では、患者たちが裁判をおこしました。
二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質の環境基準を達成すること、それ以上の排出をしてはならないという差し止め、公害患者と死亡者に対して生活・家庭の破壊を償うための損害金を支払ってほしいという裁判です。
裁判は長期化し、17年かかりましたが、西淀川公害訴訟の和解をきっかけに工場と道路ともに和解をしました。
解決後も、公害のない道路沿道のために運動を続け、川崎市成人ぜん息患者医療費助成制度をつくり、川崎市全域の全市民のぜん息患者の医療費助成ができるようになりました。
自動車排ガスによる公害が認められる 1998年8月5日
自動車排ガスによる公害が認められる 1998年8月5日
勝利報告集会 遺族・原告と支援者
勝利報告集会 遺族・原告と支援者

写真は川崎公害病患者と家族の会より

<原告>

川崎市に在住または通勤している公害健康被害補償法による公害病認定患者

訴訟名 提訴年月日 原告数
1次訴訟 1982年3月18日 119人
2次訴訟 1983年9月17日 114人
3次訴訟 1985年3月9日 107人
4次訴訟 1988年12月24日 100人
合計 440人

<被告>

工場
12社
日本鋼管、東京電力、東亜燃料、東燃石油化学、日網石油精製、日本石油化学、浮島石油化学、昭和電工、ゼネラル石油、三菱石油、昭和石油、東亜石油、日本国有鉄道
道路
国、首都高速道路公団

<判決・和解>

1994年1月25日 判決(1次訴訟)
工場
公害の責任を認める。連帯して損害賠償を支払う
道路
公害の責任を問われるのを免れる
→原告・被告ともに控訴(東京高裁)
1996年12月25日 企業と和解
・解決金として31億円を原告に支払う
・企業は公害防止対策に努力する
1998年8月5日 判決(2~4次訴訟)
道路
二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質と健康影響との因果関係を認める。
国、道路公団に賠償命令
→原告・被告ともに控訴(東京高裁)
1999年5月20日 国・首都高速道路公団との和解
・自動車交通を湾岸部へ誘導するための道路ネットワークの整備
・道路構造の改善(環境施設の整備、遮音壁、低騒音舗装など)、交通流の円滑化、沿道整備
・沿道環境改善(光触媒、大気測定局の設置など)
・中長期対策(国道357号・生麦ジャンクションの整備、ロードプライシングの検討)
・川崎市南部地区道路沿道環境に関する連絡会の設置

■現地で学ぶには

施設名 神奈川県立川崎図書館 神奈川県立川崎図書館
URL http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kawasaki/index.html
利用案内 休館日 月曜日(祝日にあたるときは開館)、毎月第2木曜日、年末年始
時 間 9:00~19:00(火曜~金曜)、9:00~17:00(土曜、日曜、祝日)
    社史室のみ17:00閉室
住所 〒210-0011 川崎市川崎区富士見2-1-4
電話 044-233-4537(代)
施設の説明 工業都市・川崎にある工業・産業分野を重点とした資料収集・サービス方針を掲げた県立図書館です。川崎公害裁判の原告団・弁護団が「歴史を風化させたくない」「地元の市民や研究者に役立ててもらえるよう、地元で記録を公開してもらいたい」との希望で、裁判の和解から2年後の2001年5月18日に裁判資料を寄贈しました。
所蔵資料 裁判所に提出した原告・被告双方の資料が製本され、閲覧できます。書庫資料にある資料もあります。書庫内資料の閲覧および複写の際にはカウンター職員に申し込んでください。貸し出しはしていません。