記録で見る大気汚染と裁判
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名古屋南部大気汚染公害裁判

■公害の原因

名古屋市南区・港区は江戸時代の新田開拓と明治以降の名古屋港開発のための干拓で作られました。名古屋南部地域は最初は繊維工業を中心とする工業地帯でしたが、1960年代には中部電力や新日本製鉄(当時は東海製鉄)が操業を開始し、一大工業地帯となりました。また、工業地帯の形成の一環として道路網が整備されました。
燃料が石炭から石油に転換したことで、1960年代ごろから大気汚染が深刻化し、1962年には名古屋市内はスモッグに連日見舞われたり、南区柴田地区でぜんそくが多発しました。この健康被害は「柴田ぜんぞく」とよばれ、社会問題化していきます。
また、1972年には四日市と名古屋を結ぶ国道23号が全線開通したことで、自動車の交通量が増加し、騒音・振動・排ガスによる健康被害に悩まされる人が増えていきました。

■裁判の内容

1989年3月に名古屋南部地域の公害病認定患者が名古屋港南部臨海工業地帯の工場排煙と、国道1号、23号等の自動車排ガスに対して裁判を起こしました。旧環境基準を超える排出ガスの差止と損害賠償を求める裁判です。尼崎の裁判と同じく、公害行政が後退していることに対しての抗議が込められていました。2000年の判決では、損害賠償と差止が認められ、2001年に和解しました。
和解後に国道23号沿道環境施設帯の整備や伊勢湾岸自動車道への迂回などの大気汚染削減のための施策が行われています。しかし、南部地区全体の交通量は大幅に増加しており、原告団は23号線の車線削減を求めて活動しています。
第1次提訴 1989年3月31日
第1次提訴 1989年3月31日
勝利判決に拍手 2000年11月27日
勝利判決に拍手 2000年11月27日

写真は南区公害病患者と家族の会『35年の歩み』より

<原告>

名古屋市内東海市内及びその周辺地域に在住または通勤している公害認定病患者とその遺族

訴訟名 提訴年月日 原告数
1次訴訟 1989年3月31日 145人
2次訴訟 1990年10月8日 100人
3次訴訟 1997年12月19日 47人
合計 292人

<被告>

工場
企業11社 中部電力、新日本製鐵、東レ、愛知製鋼、大同特殊鋼、三井東圧化学、矢作製鉄、東邦瓦斯、東亞合成化学、ニチハ、中部鋼板
道路

<判決・和解>

2000年11月27日 判決
工場
工場の不法行為を認める。連帯して損害賠償を支払う
道路
自動車排ガス(浮遊粒子状物質)の健康影響を認める
自動車排ガスの排出差止を認める
→原告・被告ともに控訴(名古屋高裁)
2001年8月8日 和解 国・企業と和解
工場
・解決金7億3360万9597円支払う
・企業は公害防止対策に努力する
道路
・国土交通省と環境省は交通負荷と大気汚染を軽減する施策を行う
・原告と国交省と環境省は「名古屋南部地域道路沿道環境改善に関する連絡会」を設置する

■現地で学ぶには

団体名 NPO法人名古屋南部地域再生センター
URL http://www16.ocn.ne.jp/~nac-04/
E-mail nagoya.aozora1@gmail.com
住所 愛知県名古屋市港区港楽3丁目1-7
電話 052-665-4170
FAX 052-665-4174
団体名 みなと公害患者と家族の会
住所 〒 455-0036 名古屋市港区浜1丁目3番16号
電話 052-652-9510
FAX 052-652-9511
団体名 南区公害病患者と家族の会
住所 〒457-0805 名古屋市南区三吉町2丁目30番地
電話 052-611-2998
FAX 052-611-2977