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大気汚染裁判のあらまし

全国公害弁護団連絡会議

全国公害弁護団連絡会議(公害弁連)は、1972 年1月に行われた青年法律家協会(青法協)主催の公害研究集会の成果を引き継ぎ、裁判実務のより実践的な法理論の構築、弁護団相互の交流や支援体制の確立、被害者・支援団体・研究者との連携の強化を目的として設立されました。当時は、四大公害裁判に加え、大阪国際空港騒音訴訟が始まっており、同じ年の8月には、前年のイタイイタイ病、新潟水俣病判決に続き、四日市公害裁判の判決が出されるという状況でした。
2010年現在、加入弁護団50、協力関係弁護団9、事件終了弁護団22と、数多くの弁護団が加入しており、水質汚濁、土壌汚染、大気汚染、空港・基地騒音、新幹線公害、食品公害、薬品公害、道路公害、ゴミ・廃棄物問題、ダイオキシン問題、アスベスト問題など、活動の範囲を広げ、損害賠償請求、差止請求をはじめとする被害者救済、公害の根絶、公害地域再生、国際交流などに取り組んでいます。このような活動をボランティアで継続する弁護士組織は、他国にあまり例を見ることはできません。
総会議案書は、公害環境をめぐる情勢、一年間の活動報告、今後の活動方針、組織・人事一覧などが掲載されており、公害弁連や各地の弁護団の動きを知ることが出来ます。公害裁判や公害反対運動における弁護団の役割を伝える貴重な資料です。

総会議案書 一覧

四日市公害裁判が全国の公害患者救済のきっかけに

公害健康被害補償法によって公害被害者救済

第2回-1
1973年
第2回-2
1973年
第3回
1974年1月12日
 
各地で公害患者が
裁判を起こす

千葉・西淀川・川崎が提訴
二酸化窒素の環境基準が緩和

第4回
1975年1月15日
第5回
1976年3月27日
第6回
1977年3月27日
第7回
1978年3月27日
第8回
1979年3月24日
第9回
1980年3月23日
第10回
1981年3月28日
第11回
1982年4月24日
公害、冬の時代

倉敷・尼崎が提訴
公害健康被害補償法の大気汚染公害指定地域解除

第12回
1983年3月26日
第13回
1984年3月24日
第14回
1985年3月24日
第15回
1986年3月28日
第16回
1987年5月23日
     
各地の裁判で
公害被害者が勝利する

名古屋南部・東京が提訴
川崎と東京でぜん息患者の医療費救済開始

第17回
1988年3月19日
第18回
1989年3月25日
第19回
1990年3月30日
第20回
1991年5月11日
第21回
1992年3月29日
第22回
1993年3月27日
第23回
1994年3月13日
第24回
1995年4月15日
第25回
1996年3月28日
第26回
1997年3月29日
第27回
1998年3月29日
第28回
1999年3月20日
第29回
2000年3月31日
第30回
2001年3月24日
第31回
2002年3月21日
第32回
2003年3月21日
第33回
2004年3月21日
第34回
2005年3月21日
第35回
2006年3月18日
第36回
2007年3月21日
個人情報保護のため資料中、削除したページがあります。現物は西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)に保存しています。
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