記録で見る大気汚染と裁判
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四日市公害裁判

■公害の原因

四日市は幕末から旧東海道の要所であり、近代に入ってからも産業港として栄えました。戦前は紡績産業、戦時中は第二海軍燃料廠となり、戦後は燃料廠跡地に石油化学コンビナートが建設されることとなりました。この石油化学コンビナートが大気汚染と海洋汚染の原因となります。
1955年に、水質が悪くなり、臭い魚が獲れるようになります。1960年から磯津地区でぜん息症状を訴える人が多くなり、公害反対運動が始まります。

■裁判の内容

1967年9月、県立塩浜病院入院中の磯津の公害患者9名が原告として裁判を起こしました。市民に一番近い立場にいた四日市市職員が組織する四日市市職労などが公害患者の支援の中心でした。被告は磯津地域に隣接している第1コンビナート6社です。1972年7月に原告である公害患者の勝訴判決があり、被告である企業は控訴を断念しました。
四日市公害裁判の結果を受けて、国は公害健康被害補償法を作ることとなりました。また、全国の大気汚染の被害に苦しんでいた公害患者は四日市を見習い、公害患者を組織し、反対運動を進めることとなりました。
四日市公害訴訟勝訴報告集会 1972年7月24日 
四日市公害訴訟勝訴報告集会 1972年7月24日 
航空写真 磯津上空 1971年8月11日
航空写真 磯津上空 1971年8月11日

上下とも写真提供 澤井余志郎

<原告>

四日市塩浜磯津地区の公害患者9名
1967年9月1日提訴

<被告>

工場
6社 中部電力三重火力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成、三菱モンサント化成、石原産業

<判決・和解>

1972年7月24日 原告勝訴
工場
企業の共同不法行為の認定
立地上、操業上の過失を認める
原告に88,211,823円の賠償金を支払う
→被告控訴せず
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年表

全国と四日市公害の流れがわかる年表です

■住民による公害解決方法

裁判

四日市コンビナートの様子や、被害の実態、企業と公害患者の主張の違いがわかります

記録公害

「公害を記録する会」が発行しているミニコミ誌です。四日市公害にまつわる住民の思いがわかります

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■資料公開基準

 

■現地で学ぶには

施設名 四日市公害と環境未来館 四日市市環境学習センター 公害資料室
URL http://www.city.yokkaichi.mie.jp/yokkaichikougai-kankyoumiraikan/index.html
e-mail kougai-kankyoumiraikan@City.yokkaichi.mie.jp
利用案内 館時間 9:30~17:00(ただし、入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始、その他
住所 〒510-0075 三重県四日市市安島一丁目3-16
電話 059-354-8065
FAX 059-329-5792
施設の説明 四日市公害と環境未来館は、四日市公害の発生に至る経緯や被害、環境改善に向けたさまざまな方策等について、子どもから大人までを対象に、映像や写真、絵本などを用いてわかりやすく展示しております。
また、同じ建物にある「四日市市立博物館」の常設展示や「プラネタリウム」と一緒にご覧いただくことで、私たちの生活と環境との結びつきを理解したり、地球規模で環境を考えたりすることができる施設となっています。
未来へ、より良い環境を引き継いでいくために当館で学び、家庭や地域での環境活動につなげていただければ幸いです。
所蔵資料 四日市市環境学習センター公害資料室にて所蔵していた当時の写真や大気汚染測定機器や空気清浄機などの資料を引き継ぐとともに、本館の開館に合わせた新規資料調査の過程で確認した資料の収集・整理を進めています。