
すこやかライフNo.42 2013年9月発行
お笑いコンビ北陽のボケ担当として、あぶちゃんのニックネームで親しまれている、虻川美穂子さん。 テレビの中ではいつも明るく元気な虻川さんも、ぜん息の症状に悩まされてきた一人です。
一度中断してしまった治療を再開するきっかけや、治療を続ける大切さについて熱心に話してくれました。
2歳のとき、ぜん息を発症してしまったという虻川さん。気づいたときには、病院に行くのがあたりまえの生活だったという。
「夜中に発作で目が覚めたり、母親におんぶされて病院に行ったりするのが、ふつうのことでした」
とくに友人の家や旅行先の旅館など自宅以外では、必ずといっていいほど発作が起こっていた。
「子どもの頃は数えるくらいしか家族旅行に行かなかったんですけど、記憶にある限り、3回中、3回ともぜん息の発作が出ていました。だから、旅行はあんまり好きではなかったですね。眠れないし、苦しいっていう記憶しかないんです。大人になって、やっと旅っていいものだなと思えるようになりました」
中学生のときに引っ越したことをきっかけに、それまで続けていたぜん息の治療をやめてしまったという虻川さん。
「病院が変わったり、薬を吸って体の中に入れるということに自分でも抵抗感があって、なんとなく治療をやめてしまったんです」
中学校から始めたソフトボールのおかげで体力がつき、小さい頃よりは発作も出なくなったというが、走ったら苦しくなるのはあたりまえ、常にぜん息と一緒に生活している感じだったという。
「とくに高校のソフトボール部の合宿が大変でした。合宿所の部屋に入ったときから苦しくて、みんながふとんを敷き出すと、ほこりが立ってさらに苦しい。でも、帰れないじゃないですか。だから、苦しい時はお風呂場で寝ていたんですよ。 しかも、私は体が大きいので、少しの走り込みでゼーゼー言っていると、手を抜いていると思われてしまうのが、やるせなかったですね」
高校で出会った、今では相方の伊藤さおりさんに、よく気遣ってもらったそうだ。
芸能人になってからも忙しい合間を縫って、3年に一度の区の健診だけは欠かさずに行なっていたという虻川さん。
「でも、検査の結果が悪いから治療しなさいって言われても、面倒なので放っておいたんです」
ところが今から3年前の健診のときに、区役所の担当者から言われた一言で、治療してみようという気になったという。
「私の肺機能がすごく弱っていて、普通に生活できているのが、不思議なくらいの結果です、って言われたんです。私にとっては、苦しいのがあたりまえだったのに『今よりも楽な呼吸をしてみませんか?』って、熱く言ってくれたんですよ」
病院で合剤の長期管理薬を処方してもらい、朝晩の吸入を始めたところ、2〜3週間経った頃から、階段を上っても苦しくならない自分に気づいた。
「えっ、ぜん息じゃない人ってこんなに楽な呼吸なんだ!っておどろいて、これは続けていこうと思いました」
毎日使う化粧水や乳液と同じ棚に薬をしまっておき、朝晩の吸入を忘れないようにしているそうだ。仕事柄、不規則な生活になりがちな虻川さんだが、ぜん息だからこそ体を気遣うようになったという。
「本当は健康に気を使うタイプじゃないんです。でも、もともとぜん息で発作が起こるのがイヤだから、かぜをひかないようにしようとか、早寝早起きを心がけるとか、栄養のあるものを食べようとか、考えられるようになったのかもしれないですね」
そんな虻川さんのこれからの夢を聞いてみた。
「薬をちゃんと続けて、元気な体を維持して、歳をとっても筋肉モリモリで山登りに行っちゃうようなスーパーおばあちゃんになりたい。 仕事では、テレビなどで私を通してちょっと笑っちゃったとかちょっと楽しい気分になったな、っていうお手伝いができたらいいなと思っています」
もっと早く薬を使っていたら、若い頃には仕事でもっと動くことができたかもしれない、という虻川さんあらためて、ぜん息治療を続ける大切さを教えてくれた。
ぜん息(そく)だと苦(くる)しくて、つらいこともあるかもしれないけれど、耐(た)えた分(ぶん)だけ他(ほか)の人(ひと)よりガッツもつくし、治療(ちりょう)をちゃんと続(つづ)ければ、よくなっていくと思(おも)うから、あきらめずに、めげずに治療(ちりょう)を続(つづ)けて、ぜん息(そく)じゃない人(ひと)に負(ま)けないくらい、がんばってください!
42号の「ぜん息児へのエール」コーナーにご登場いただいた、北陽・虻川美穂子さんのメッセージ入りサイン色紙をプレゼントいたします。アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で10名の方にプレゼントさせていただきます。ふるってご応募ください。(冊子のとじこみハガキでもご応募いただけます。)
<多数のご応募をいただきましたので、締め切りさせていただいております。ご了承ください。>