すこやかライフNo.44 2014年10月発行
スピードと技術を兼ね備えたドリブルが魅力的なサッカープレーヤーの大津祐樹選手。ロンドン五輪での鮮やかなゴールを記憶している人も多いのではないでしょうか。
現在はオランダのフェンロでパワフルにプレーしている大津選手にも、ぜん息やアレルギーに苦しんだ子ども時代がありました。
「1歳前後にぜん息を発症したらしいです。小学生くらいまでは、病院にも通っていたようなのですが、実はあまり記憶がなくて。ただ、風邪をひくとせきがたくさん出て、ヒューヒューと息が苦しかった感じは覚えています」
大津選手のお母さんによると、幼少期の大津選手は、ひどいせきが起こり、夜中に病院に行くこともしばしば。ぜん息の薬を服用していたほか、症状が重いときは病院で点滴を打ってもらうこともあったとか。風邪をひきやすく、せきをしすぎてのどのリンパ節が腫れてしまうこともよくあり、幼稚園の行事はほとんど休んでいたという。
「母は、そんな僕を見てこの子に運動は無理だと思っていたようですが、自分としては、よく動く元気な子だったという記憶しかないです。親は何も言わなかったけれど、心配していたのかもしれないですね」
チームに入って、本格的にサッカーを始めたのは小学3年生のとき。そのときすでに「サッカー選手になりたい」という漠然とした思いはあった。
「よく風邪をひいたりして、練習を休むことはあったけれど、ボールはいつもそばにありましたね。放課後はずっとボールを蹴っていたし、家に帰って部屋の中でも常にボールに触れていました。大人になった今でも、それは変わりません」
ぜん息のほかに、ハウスダストやウサギの毛のアレルギー反応があったため、お母さんが、意識的に衣服のホコリを払ったり、こまめに洗濯したりと、気をつけていた。
「サッカーをしているときに苦しかったということはないし、ぜん息を理由に運動を止められたことはありません」
家族は、ぜん息であることを特別視せず大津選手に接し、好きなサッカーを続けさせてくれたという。やがて症状が落ち着いてきた。大津選手が中学生のころのことだ。
より高いレベルのサッカーを求めて、中学時代は鹿島ノルテジュニアユースに加入。高校も、地元を離れ、強豪校で練習環境の厳しい東京の成立学園に進学した。
「厳しさや挫折を経験するなかで、プロになる、なれるという自信がつきました。でも、そのためには常に人よりも多く練習をしなければならないと思っていましたし、実際によく練習しましたよ」
「無理をしたり、生活リズムが乱れたりすると、体調を崩しますから、健康管理には気を使ってきました」
プロになって、その意識は一段と高まった。
「当たり前ですが、練習を休めませんから。自分のからだの状態を知ることが大事。そして自分に合った体調管理の方法を常に考えています。食事も気をつけていますし、ちょっとでも体調がおかしいなと思うときには、早めにケアするようにしています」
大津選手は2013年12月、試合中にアキレス腱断裂の重傷を負い、日本で治療とリハビリを続けていた。話を聞いたのは、完治してオランダに戻る直前のこと。「とにかくサッカーがしたい!」と少年のようなキラキラした目で語ってくれたのが印象的だった。「チームで活躍することが目の前の目標です。チームを勝たせる中心的な選手でありたいし、そのためには結果を出さないと」。ぜん息を克服し、環境の異なる海外での生活にも慣れ、のびのびとプレーしている大津選手。これからの活躍をみんなで応援しよう。
ぼくも、子(こ)どものころは、ぜん息(そく)でつらい思(おも)いをしたけれど、克服(こくふく)して、今(いま)はこうやって、サッカーができるようになっている。発作(ほっさ)のときは本当(ほんとう)につらいと思(おも)うけど、きちんとケアをして、治(なお)していこう。みんなにもやりたいことや夢(ゆめ)があるよね。それがかなうことを願(ねが)っています。
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