
すこやかライフNo.46 2015年9月発行
短距離レースで、スプリント能力を生かした力強い泳ぎを見せる市川尊選手。
背泳ぎと個人メドレーの複数種目に勝負をかけ、JOC ジュニアオリンピックカップでは2種目で優勝を果たしました。
そんな第一線で戦う市川選手も、子どものころはぜん息に苦しみ、つらい思いをしていました。
「ぜん息の発症は2歳だったと聞いています。幼いころはせきが出始めると止まらなくて。特に夜中のせきがつらくて、泣いてしまったことをよく覚えています」
通院し、薬を飲む。発作がひどいときは病院で吸入を受けていた。
「特にひどかったのは5、6歳のころ。発作のときは呼吸するのも大変でした」
家には、ハウスダストを除去する空気清浄器が置かれていたという。ご両親は常に室内の空気環境に気を配っていた。お母さんに水泳をすすめられたのもちょうどそのころだ。
小学校入学前、6歳のときにスイミングスクールに通い始める
「水遊びが好きという程度で、特に水泳に興味があったわけではないのですが、『ぜん息にいい』と母に言われ、それならとスクールに通うことにしました。行けば楽しく泳いでいましたが、ぜん息のために始めたというだけなので、治療として通っているという気持ちでした」
本人も「やんちゃだった」というとおり、とにかくからだを動かすことが大好きな子ども時代。元気いっぱいに外で遊んでは、よくせき込んでいたという。
「ぜん息だから静かにしていなさい、これをやってはいけない、などと親に言われたことはありませんでした」
水泳を始めて数年がたった小学校中学年のころ、症状の変化に気づく。
「ぜん息のつらさがやわらぎました。水泳の効果もあったと思いますし、よく食べ、動いていたので、体力がついてきたのだと思います」
スイミングスクールでは順調に進級し、小学5年生で選手コースに移る。
「とたんに練習メニューが増えました。ぜん息はだいぶよくなっていたので、普段の生活ではあまり自覚していませんでしたが、きつい練習の後はゼーゼーしていました。ふと周りを見ると、息苦しそうなのは自分だけ。後から考えると、ぜん息のせいだったのかなと」
小学校高学年のころになると、病院に行く回数はいつのまにか減り、中学生以降、ぜん息で受診することはなくなった。
「親も、そういえばぜん息なくなったね、と。思えば家ではぜん息の話題がほとんど出ませんでした。親が気にしすぎて口に出すと子どもが委縮してしまうと考えていたようです。おおらかに見守ってくれた親に感謝しています」
選手コースに移った当初は、それほど意欲的に練習していたとは言えなかった。
「仲のよかった二人の友だちが、全国大会で活躍するスイマーでした。二人は別格だからと思いつつも、やはりうらやましくて。自分だけ置いて行かれるのがいやだと思うようになり、練習をがんばり始めました」
競泳に目覚めた市川選手は中学、高校と水泳部で活躍し、2014年春、生まれ育った愛媛を出て東京の明治大学に進学。今は水泳部の寮で生活している。「愛媛と東京の気候の違いを感じます。ちょっとしたことで体調を崩しやすいので、よく寝ること、手洗い、うがい、マスクの着用などで体調管理をしています」
明治大学のプールで練習にはげむ市川選手
幼いころからの習慣で、室内の空気環境には気をつかう。「乾燥しすぎないよう、部屋には加湿器を置いています」国内外の大会ですばらしい選手の姿を見て触発され、自分に足りないものを考えながら、積極的にトレーニングを重ねている。現在の目標は「2017年に開催される、学生の国際大会『ユニバーシアード』と地元開催の『愛媛国体』に出場し、優勝することです」とまっすぐに話す。世界を目指す市川選手。5年後の東京オリンピックでの活躍にも期待しよう。
ぼくは小ちいさいときにぜん息(そく)をもっていました。でも今(いま)はぜん息(そく)を克(こく)服(ふく)して、大(だい)好(す)きな水(すい)泳(えい)を続(つづ)けています。子(こ)どものころのぼくは、いっぱいごはんを食(た)べ、友(とも)だちに負(ま)けないくらい元(げん)気(き)に遊(あそ)びました。ぜん息(そく)の治(ち)療(りょう)はつらいと思(おも)いますが、みなさんも夢(ゆめ)に向(む)かってがんばっていきましょう。
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