
大都市では、紡績業等近代産業の立地のほか、鍛冶業等各種の町工場が集中して立地し、また大正年間には火力発電所の立地等により大気汚染が進行しています。
大阪市内では市民の公害苦情が絶えず、大阪府では数次にわたり公害を規制する府達を発しています。1880年に発せられた府達で初めて「公害」という文字が使われていました。
時代が下って1927年に発足した大阪都市協会煤煙防止調査委員会によって、ばい煙に関する被害調査、ばい煙防止方法の調査研究が進められ、1932年には、日本最初の煤煙防止規則(大阪府令)が制定されるに至りました。しかし、この規則も第2次世界大戦により十分な効果を発揮できないまま戦後を迎えることとなりました。