大気環境の情報館

高度経済成長による産業の重化学工業化と大気汚染(1955~1964年)

1955年からの好景気下で、日本経済は未曾有の成長過程に入ることとなりました。実質経済成長率は、1950年代後半平均が8.8%、1960年代前半が9.3%、1960年代後半が12.4%と上昇し、官民挙げて日本経済を高度経済成長に乗せることに努め戦後復興から経済の自立化へ全力でまい進しました。エネルギー消費量は1955年~1964年の10年間で約3倍(1955年5130万石油換算トンが1965年は14580万石油換算トン)になり、エネルギー源の主役も石炭から石油に替わっています(1955年は石炭49.2%、石油19.2%が1965年は石炭27.3%、石油58.0%)。このため、大気汚染も硫黄酸化物を中心とした汚染に形態を変化させつつ、広域化、深刻化しました。

この背景としては、1955年頃から積極的な産業基盤整備のための公共投資が行われたほか、民間設備投資や輸出の拡大に主導され、重化学工業化が進みました。また、1955年には石油化学工業育成対策が公表され、臨海地帯に大規模なコンビナートを造り出す動きがありました。このような事情を背景に、1962年に「全国総合開発計画」が発表され、1963年には新産業都市建設促進法、工業整備特別地域整備促進法に基づき、新産業都市13地域、工業整備特別地域6地域が指定されました。このため、公害の発生源が集中して臨海工業地帯に立地することとなり、激甚な産業公害を生じさせる一つの要因となりました(四日市コンビナート、千葉県京葉コンビナート、岡山県水島コンビナート、名古屋市南部地域等新設工業地帯)。

一方、川崎、尼崎、北九州など戦前からの工業地帯では、既存の製鉄所等の工場に加え、大規模な発電所、石油精製工場等が新たに立地したことにより、大気汚染は一層悪化することとなりました。

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