地球温暖化

地球温暖化問題に関する国際的な動き

地球温暖化をめぐる国際交渉

<地球温暖化問題への関心の高まりと気候変動枠組条約の誕生>

1985 年にオーストリアで開催されたフィラハ会議をきっかけに、地球温暖化問題に対する危機感が国際的に広がりました。1988 年には、地球温暖化に関する最新の科学的な研究成果を整理・評価し、報告書を作成することを目的に、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が設立されました。1990 年に、IPCC の最初の報告書である「第1次評価報告書」が発表されました。この報告では「過去100 年間に地球の平均気温は0.3 ~ 0.6 度上昇した。人間の産業活動等により排出される温室効果ガスの増大が地球温暖化の主な原因と見られる」等といった指摘がなされ、地球温暖化問題に対処するための国際的な条約が必要だという認識が国際的に高まりました。地球温暖化は、もはや世界にとって無視することのできない問題となりました。

これらの動きを受け、国連総会で、1992 年までに国際条約をつくることを目指して交渉を開始することが決まりました。2 年間にわたる国際交渉の結果、1992 年5 月に気候変動枠組条約が採択されました。この条約は、世界各国が協力して地球温暖化問題に対処することに合意した初めての国際的な約束で、190 カ国以上が加盟する普遍的な条約です。

<京都議定書の採択 - 具体的な削減に向けて>

気候変動枠組条約は、世界が初めて地球温暖化問題に対処するために合意したという意味では画期的なことでした。しかし、条約に掲げられた目標は努力目標であり、世界の温室効果ガスの排出量は増え続けました。国際社会がもう一歩踏み込んだ温暖化対策を行うためには、新しい国際的な約束が必要でした。

そこで、1995 年にドイツのベルリンで開かれた気候変動枠組条約第1回締約国会議(COP1)では、1997 年までに、新しい国際約束(=京都議定書)をつくることを目指して交渉を開始することに合意しました。

2 年間の集中的な交渉の末、1997 年12 月、京都で開催された第3 回締約国会議の会期を1日延長した12 月11 日に京都議定書が全会一致で採択されました。

京都議定書の成果と課題

京都議定書によって、2008 ~ 2012 年の間における国際社会の取り組みが決まりました。「世界最大の排出国である米国が不参加で、排出量が増加しつつある途上国に削減義務がない京都議定書は失敗だ」という人もいます。

しかし、これまで増加することが前提だった温室効果ガスの排出に、初めて国際的に数値目標を設定してその排出削減を法的に義務づけたという点で、京都議定書はとても画期的なものであり、京都議定書は、世界全体の温室効果ガス排出削減のための最初の一歩を踏み出すことに貢献するものです。京都議定書の目標を確実に達成し、2013 年以降に、さらに大幅な温室効果ガスの排出削減を進める必要があります。

[ 京都議定書までの道のり ]
年月 おもな出来事  
1985年10月 フィラハ会議(オーストリア) 科学者による初めての温暖化に関する国際会議が開催される
1988年6月 トロント会議(カナダ) 2005年までにCO2を20%減らすことを目標に定める
1992年5月 「気候変動に関する国際連合枠組条約」の採択 まずは先進国が温室効果ガスを削減することを目標にした
1992年6月 地球サミット(ブラジル・リオデジャネイロ) 環境に関する世界首脳会議で、気候変動枠組条約の署名が始まる
1994年3月 「気候変動枠組条約」発効  
1995年3月 COP1(気候変動枠組条約 第1回締約国会議/ドイツ・ベルリン)の開催  
1996年3月 COP2(スイス・ジュネーブ)  
1997年12月 COP3(日本・京都)
京都議定書の採択
先進国の削減数値目標を定めた京都議定書が採択される
1998年11月 COP4(アルゼンチン・ブエノスアイレス) COP6で京都メカニズム等の運用のルールを合意することを定めたブエノスアイレス行動計画が採択される
1999年10月 COP5(ドイツ・ボン)  
2000年11月 COP6(オランダ・ハーグ) 京都議定書を実施するための細かいルールを決めるはずだったが、吸収源の追加的活動の第一約束期間への適用に対して慎重なEU・途上国と、クレジット制限を小さくして幅広い活動を第一約束期間に適用することを主張する日米加等との対立が続くなど、合意に達しなかった
2001年3月 アメリカが京都議定書からの離脱を表明  
2001年7月 COP6再開会合(ドイツ・ボン) 世界の大臣達が協力し、京都議定書とともに温暖化対策を進める意思を示し「ボン合意」が成立した
2001年10~11月 COP7(モロッコ・マラケシュ) 京都議定書の運用ルールが最終決定し、「マラケシュ合意」が成立した
2002年8月~9月 ヨハネスブルグ・サミット(南アフリカ)  
2002年10月 COP8(インド・ニューデリー)  
2003年10月 COP9(イタリア・ミラノ)  
2004年11月 ロシアが京都議定書を批准 京都議定書の発効条件である、(1)条約締約国55ヶ国以上、(2)先進国の1990年時点でのCO2総排出量の55%以上という条件が整う
2004年12月 COP10(アルゼンチン・ブエノスアイレス)  
2005年2月16日 京都議定書発効 正式に効力を持った議定書となる
2005年12月 COP11・COP/MOP1
(京都議定書第1回締約国会議/カナダ・モントリオール)
京都議定書の完全実施が始まる

締約国と締約国会議

現在、気候変動に関しては「気候変動枠組条約」と「京都議定書」の2 つの国際的約束があります。気候変動枠組条約には192 カ国が、京都議定書には184 カ国と地域(EU)が参加しています。アメリカのように、条約だけに参加している国は8 カ国です。

この条約や議定書に参加している国を「締約国」(英語ではParties)と呼びます。締約国が年に1 回集まって開催される会議のことを、条約では「締約国会議」(Conference of the Parties/COP)、議定書では「締約国会合」(Conference of Parties serving as Meeting of the Parties/CMP)といい、会議の最高意思決定機関です。

締約国が集まって開催される会議には、COP やCMP 以外に、その下部組織の「補助機関(Subsidiary Bodies/SB)」の会合があります。「実施に関する補助機関(SBI)」と、「科学的、技術的な助言に関する補助機関(SBSTA)」です。

さらに、2013 年以降の次期枠組みに関する議論のように、重点的に話し合う必要がある場合には、「特別作業部会(AWG)」が臨時に設置されます。
   条約と議定書には、意思決定に関する手続き規則がなく、意思決定は合意(コンセンサス)で行われます。そこでは、排出量や経済的な規模が異なるアメリカもツバルも平等です。

世界全体での排出削減と途上国

2007 年に発表された最新のIPCC の報告書からは、今後、世界全体で温室効果ガスの大幅削減を目指すためには、先進国の率先した更なる排出削減に加えて、途上国による積極的な削減が不可欠であることが読み取れます。

途上国の排出削減について考えるとき、大切になってくるのが「共通だが差異ある責任」という考え方です。つまり、温暖化対策のために行動する責任は先進国も途上国も共通にありますが、歴史的に大量に温室効果ガスを排出してきた先進国にはより重い責任があるということです。例えば、国民一人あたり排出量は、先進国と途上国で大きく違います。途上国も削減に取り組む必要はありますが、そのためにはまず先進国が率先して対策を進めて、大規模削減を達成することが必要です。

しかし、実際の交渉では、先進国と途上国の隔たりが大きいのが現状です。もし、先進国が、「途上国の排出量は急増している。途上国はもっと参加するべきだ」等と主張すれば、途上国は「先進国の排出量はまだ減っていない。途上国の優先課題は貧困の撲滅だ。先進国こそもっと行動するべきだ」と反論します。さらに、先進国の間でも、また、途上国の間でも、様々な立場の違いがあります。京都議定書の時のように、多くの困難を乗り越えることが必要です。

2012年以降の枠組の重要性

京都議定書の第1 約束期間と、その後の2013年以降の第2 約束期間の間に隙間をつくらないために、2009 年12 月のコペンハーゲンでの合意が必要とされていました。

また、最新の科学的知見によると、2050 年頃に向かって低炭素社会を築いていくためには、途中の2020 年頃にはそこに向かう道筋に沿って削減していく必要があります(下図)。この未来への道筋をたどる第1 歩となるのが、2013 年以降の取り決めです。

[ 図表 ]
図表

次期枠組に向けた交渉の経過と今後の課題

2007年のCOP13(インドネシア・バリ)では、「科学の要請する削減の経路」を認識し、「COP15(デンマーク・コペンハーゲン)で2013年以降の世界の新たな枠組みづくりに合意すること」を確認しました。

2009年12月7日から19日にかけてデンマーク・コペンハーゲンで開催されたCOP15には、世界から数万の人々が集まりました。ここで、地球温暖化を防止するための公正で、野心的で、法的拘束力のある「コペンハーゲンでの合意」が法的文書として採択されるかどうかが、注目されていました。2週間という短期間のうちに、多岐にわたる複雑な論点を整理し各国の合意にいたらなければならないという極めて厳しい交渉でした。

日本は、2009年9月の国連気候変動首脳会合(ニューヨーク)で鳩山総理大臣が「全ての主要国による公平かつ実効性のある国際枠組みの構築と、全ての主要国の参加による意欲的な目標の合意を前提に、2020年までに1990年比で温室効果ガスの25%削減を目指す」との演説を行っていましたが、12月16日に小沢環境大臣が、あらためて同様の日本の削減目標を発表するなどして、交渉を行いました。

会議も終盤に近づいた12月18日、「コペンハーゲン・アコード※」と名づけられた文書案が発表され、19日、締約国会議で留意(テイクノート)するとされました。これは一部の国が策定過程の透明性や、手続きをめぐって議長に強く抗議し、議事が混迷した結果の措置でした。しかも、このアコードの内容はこれからの危険な気候変動を防ぐために十分なものとは言えません。アコードでは、世界の気温上昇を2℃以下にとどめることを認識するとしましたが、2050年の長期安定化目標や世界全体の排出量をピークに抑える年に関しての言及がなく、先進国の中期目標の数字も盛り込まれませんでした。

公正で、野心的で、法的拘束力のある次期枠組づくりに向けては、2010年11月から12月(予定)にかけてメキシコで開催されるCOP16で、「コペンハーゲン・アコード」の内容が強化されて国際合意に至ることが求められています。

※アコードは、「合意」あるいは「協定」と訳されています。

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