大気環境の情報館

四日市の大気汚染(1960年代前半)

三重県四日市市は、1960(昭和35)年時点で人口約20万人、工業生産額は全国556市中第12位、わが国の石油化学工業の生産額の1/4を占めていました。1960年頃から大規模な石油コンビナートの操業が始まり、翌1961年頃からぜん息様の症状を訴える住民が現れるようになり、1963年6月頃に至ってその訴えが顕著になりました。

四日市の大気汚染は、塩浜地区のコンビナート稼動(1960年)に引き続いて午起地区のコンビナートが稼動を始めた1963~1964年頃に最悪の状態を示しました。当時四日市で使用された重油の硫黄含有量は3%前後であり、年間の硫黄酸化物排出量は13~14万トン(SO2換算)と見積もられました。1964年の二酸化硫黄(SO2)濃度は磯津地区で、1時間値では全測定時間の3%が0.5ppmを超え、時には1時間値の現行環境基準値0.1ppmの10倍である1ppmを超えたり、フルスケール2.5ppm測定器の針が振り切れることさえありました。なお、同地区の1964年のSO2濃度の年平均値は0.075ppm(現行環境基準の概ね4倍弱に相当)でありました。

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