大気環境の情報館

光化学スモッグの頻発(1970年)

1970年7月19日の朝刊各紙は大きな見出しで日本における初めての光化学スモッグ発生を伝えました。

7月18日の事件を光化学スモッグと断定した根拠は、この日の国設東京測定所のオキシダント濃度が著しく高濃度だったこと、また二酸化窒素濃度のピークのあとオキシダント濃度が上昇し始め、オキシダント濃度がピークに達すると、二酸化窒素濃度は最小になるという典型的光化学スモッグ時の反応パターンが認められたことによりました。この日の人体被害は都内で5200人、埼玉県で407人だったが眼の刺激のみならず呼吸困難を訴えた人もありました。

光化学スモッグ広域発生に「関東地方公害対策本部大気汚染部会」は1975~1977 年の夏季の大気汚染常時測定結果を共同解析し、関東地方におけるこの発生機構を解明しました。結果では、関東南部の臨海地域及び大都市部から排出された汚染物質が南風によって関東平野を化学反応しつつ北上し、その到達範囲は関東平野の奥深くまで及び長野県にまで影響していると想定されました。

光化学スモッグの頻発(1970年)
「毎日新聞社提供」
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