大気環境の情報館

石油危機と安定経済成長期以降の大気汚染

1973年、日本は第1次石油危機(オイルショック)を迎えることとなりました。翌1974年には経済成長率は一気に落ち込み、戦後初のマイナス(-1.2%)を記録することとなりました。これを契機に大気汚染も新たな局面を迎えることとなりました。

1973年及び1979年の石油価格の大幅な引き上げは、全エネルギーの3/4を輸入石油に依存してきたわが国に大きな影響をもたらし、実質成長率も概ね5%を目安とする安定成長の時代となり、エネルギー需要も横這いの状況となりました。エネルギー価格の高騰は、基礎資材型産業を中心に省資源・省エネルギーへの取組を促進し、環境負荷の低減に寄与するとともに、加工組立型産業の技術革新が進展しました。

硫黄酸化物対策を中心とする産業公害型の大気汚染対策の着実な進展と裏腹に、この時期問題が顕在化してきたのが、都市・生活型の大気汚染です。その発生源は、工場・事業場のほか、無数ともいえる自動車等の移動発生源であり、汚染物質としては窒素酸化物がその代表です。

自動車排出ガス規制については、ガソリン車の一酸化炭素濃度について、1966年から運輸省による行政指導、1968年から「大気汚染防止法」に基づく法的規制が行われていました。1971年には、「大気汚染防止法」の自動車排出ガスとして一酸化炭素のほか、炭化水素、窒素酸化物、鉛化合物及び粒子状物質が追加されました。

自動車排出ガス中の窒素酸化物について本格的規制が始まるのは、日本版マスキー法と呼ばれた1978年度規制からでした。

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