記録で見る大気汚染と裁判
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倉敷公害訴訟

年表

全国のできごと、倉敷・水島のできごとを年表にしました。

年代 全国のできごと 倉敷・水島でのできごと
1943   三菱重工業(株)水島航空機製作所が操業をはじめる
1945 終戦  
1952  
9/
岡山県は「農業県から工業県への脱皮」を目指した「水島臨海工業地帯造成計画」を作成し、開発に着手
1960  
5/
三菱ガス化学(株)水島工場が操業開始
水島港が重要港湾(国内及び国際海上輸送網の拠点となる港湾)に指定された。
1961  
5/16
三菱石油(株)水島製油所が操業開始
6/
日本鉱業(株)水島製油所が操業開始
11/
中国電力(株)水島火力発電所が操業開始
12/22
倉敷漁業協同組合連合会は、三菱石油、日本鉱業、中国電力火力発電所の操業頃より水島の魚が臭く市場価値が下落したため、これら3社の薬品使用と廃液状況を調査した。
1962   水島港が関税法の指定をうけ、貨物の輸出入並びに外国の貿易船の入港又は出港が政令によって許可される港となった。
1963  
9/
倉敷市は公害防止対策委員会を設置
11/1
倉敷市内5ヶ所(住吉町・岡山大学農業研究所、福田町・福田中学校、呼松町・中田酒造、水島青葉町・県南部上水道事務所、連島町・連島中学校)でばいじん亜硫酸ガスの測定が始められた。
1964  
1/
倉敷市を含む岡山県南地区が新産業都市に指定される
3/14
倉敷市福田町の王島山で、土砂採取による地下水の不足を原因とするミカンの苗木の枯死が発生した。
4/9
岡山県衛生部は1964年度の重点施策として、水島、岡南両工業基地の公害防止対策推進を発表し、単独県費で初めて公害対策費を計上した。
4/16
倉敷市呼松第一漁業協同組合と水島漁業協同組合の代表15名は、倉敷市に対し、水島港への出入船舶によりサワラ流網が切られることへの補償と、水島沖の魚に悪臭がしみこむ海水汚染対策の2点に関し陳情した。 
6/17
倉敷市福田町松江地区内で水島工業基地のばい煙・排ガスのためイ草40ヘクタールが先枯れした。
7/1
三菱化成水島工場(化成水島)が操業開始
7/6
7月1日より始まった化成水島の試験操業で48メートルのフレア・スタッグより20メートルの炎が連日上がり、倉敷市呼松町の住民は倉敷市に抗議し、市は会社に注意をうながした。
7/12
650世帯中8割の戸数から約400名が参集して呼松町民大会が開催され、呼松町公害対策委員会が結成された。
7/22
呼松町民700名は、化成水島に対し抗議デモをおこない操業中止などを求める5項目の抗議文を手交した。この抗議デモは水島における最初の公害反対市民運動として呼松エピソードと呼ばれる。
 
8/1
倉敷市は公害係を設置
8/10
倉敷市は倉敷市公害対策審議会を設置
8/15
倉敷市は公害防止対策委員会を設置
10/22
通産省産業構造審議会第2回産業公害部会は、新産業都市に関する産業公害対策として1965年度、水島など5地域の事前調査実施の方針を決定した。
12/3
呼松第一漁業協同組合は化成水島、水島合成、関東電化の3社に対し、呼松港はもちろん付近一帯に工場汚水を放流しないよう抗議した。仲介に当たった倉敷市は、倉敷市漁業協同組合連合会に対して関係漁業者のうち転業希望者は関係企業が優先的に雇用、漁連翼下組合員の漁獲は関係企業が共同購入、現時点で公害は明かでなく、従って補償は出来ないとの公害調停案を提示した。
12/26
高梁川河口以西の玉島市地先におけるノリ養殖が不作。高梁川河口のしゅんせつで潮流・海水濃度が変化してきたことや水島地帯より流れる工場廃液が原因とみられる。
呼松エピソード
呼松エピソード
1965  
1/28
倉敷市公害対策審議会水質汚濁専門委員会が開催され、特別都市下水路の採水調査結果や水島地区主要工場28社の公害防除設備状況が発表された。また工場廃水の水島近海における魚介類への影響調査が研究項目として決定された。
2/12
旭化成工業水島製造所が操業開始
2/14
児島市塩生地区で住民大会が開催され、公害対策委員会が設置された。同日、倉敷市福田町松江地区でも住民大会が開催され、公害対策委員会が設置された。これ以降も倉敷市福田町広江、福田町福田各地区で公害対策委員会が結成された。
3/13
岡山県は1965年度から7ヶ年計画で水島の都市計画事業に着工すると発表した。総事業費約40億円、1971年までに全地域を商業、準工業、住宅の三ブロックに分け道路、公園緑地、上下水道を整備する計画。
4/
岡山県は水島港湾局、福田中学校、松江公民館で亜硫酸ガスなどの測定を開始した。
6/
松江で苗代10アールが枯れ、同じくしてイ草が枯れた。付近工場のばい煙が原因とみられる。
6/14
倉敷市呼松港一帯で数万匹の魚が死んでいるのが発見された。第一呼松漁協は、三菱石油ら関係9社に現状視察を依頼、岡山県衛生部・倉敷保健所・倉敷市へ連絡した。8月21日に倉敷市公害審議会水質汚濁専門委員会は青酸イオンによるものと判定した。
7/1
倉敷市連島町鶴新田地先の公共遊水池でボラ、ホソ、フナ等数百匹が死んで浮上しているのが発見された。同池は1964年に県営事業で完成した168,000㎡の余水調整池で3月から工場廃液が流れ込んでいる。
7/10
倉敷市福田町の各地区別公害対策委員会は統一体としての町公害対策委員会を発足した。
7/21-
 23
通産省による水島工業基地の産業公害調査が実施された。水島上空の気流動態を調べ工場排気の拡散状況を予測しようとするもの。
8/1
児島市は水島工業地帯の発展に備え公害係を新設した。
8/4
厚生省と岡山県による公害事前調査が実施され、亜硫酸ガス、硫化水素、浮遊粉じんなどの調査がおこなわれた。
8/9
倉敷市立第一福田小学校で工場ばい煙のためプールが使用不能となる。
8/11
松江地区の住民14世帯が集団移転
8/12
化成水島など4社は6月14日発生の死魚事件に対する見舞金(150万円)を倉敷市に寄託し、倉敷市漁業協同組合連合会および呼松鮮魚小売人組合へ渡すよう依頼した。
8/14
川崎製鉄水島製鉄所が操業開始
8/20
倉敷市は、岡山県衛生研究所に委託して今月から定期的に都市下水関係11ヶ所、呼松関係2ヶ所の計13ヶ所で水質検査を実施することにした。
9/4
岡山県は水島の24社代表と公害防止対策についての初の懇談会を開いた。企業側から、県は早急に公害についての具体的基準を示すべきだとの意見が出された。これに対し県は、県の公害防止条例が出来るまでにはまだかなりの期間が必要なので、暫定的な基準を早急につくるよう検討すると回答した。
10/3
水島生活協同組合(のちに倉敷医療生活協同組合に改称)は大阪市技官中野道雄氏を招き、公害問題についての研修会を開いた。同日引きつづき市内諸団体による「大気汚染を中心にした公害とその対策」をテーマとする第1回公害問題懇談会が開催された。この懇談会を契機として1968年に公害防止倉敷市民協議会が結成されることとなった。
1966  
3/10
水島協同病院に公害係が設置された。
3/13
通産省は水島地区の逆転層調査を実施し、逆転層が二重にあり、上層の逆転層は250メートル~300メートルにあることが判明した。
7/16
第7回社会医学研究会において、水島地区公害調査活動の報告が水島協同病院の丸屋博医師によりおこなわれた。呼松地区、福田地区の若年者及び高齢者とも連島地区に較べて肺機能低下、貧血及び健康上の訴えが多いことが指摘された。
7/23
厚生省は1965年の大気汚染調査結果から、できれば水島地域全域を住宅地域以外の用途に利用するのが適切と発表。
7/26
倉敷市福田地区で亜硫酸ガス濃度0.345ppmを記録
7/29
三菱石油の常圧蒸留装置の故障により、水島亀島町、明神町、連島町南部一帯に空から重油が降る。
8/2
倉敷市漁協連合会の代表60名は、市助役、市議会議長らに異臭魚の買い上げについて陳情した。
8/4
連島町鶴新田の県遊水池で工場廃液により淡水魚が大量死。
9/
福田町松江で稲14アールが枯れた。
9/4
倉敷市が岡山大学に委嘱して調査している水島の亜硫酸ガス濃度調査の6月までの結果がまとまった。濃度がかなり高くなっており、一部の地域では急速に四日市なみになりつつあり、汚染地域が連島地域に広がりつつあると報告された。
10/28
倉敷市議会公害対策特別委員会小委員会は、呼松町公害排除期成会から陳情のあった集団移転を採択した。
10/
倉敷市は第二福田小学校、広江で亜硫酸ガスなどの測定を開始した。
1967
06/12
新潟水俣病裁判提訴(四大公害訴訟の始まり)
08/03
公害対策基本法公布・施行
09/01
四日市公害裁判提訴
1/1
岡山県は企画部に公害課を新設した。
1/
水島海域水産協会が設立され、異臭魚の全量買い上げが始められた。(1975年まで)
1/10
水島合成化学で酢酸エチルプラントが爆発し、1人が重傷を負った。対岸の呼松町では町民に緊急避難命令が出された。
1/11
呼松町公害排除期成会は、水島合成化学の爆発原因が明らかにならない場合は同工場は操業を中止すること、隣接の日本鉱業、化成水島、関東電化の各工場は万一にそなえて防護壁を設けることを要望した。
1/19
倉敷市防災会議特別委員会が開かれ、水島合成化学の事故について反省と以降の対策を協議した。市は21の主要企業に対して万一の事故時の際の対策がどのように準備されているか報告を求めた。
2/1
岡山県公害防止条例が施行された。
新倉敷市発足(倉敷市・玉島市・児島市の合併)
3/13
第三福田小学校で亜硫酸ガス濃度0.46ppmを記録
4/26
水島共同火力発電所が操業を開始
7/3
福田町地内で植付面積180ヘクタールのイ草のうちその大部分が先枯れをしていることが発見され、県が調査をはじめた。
7/
三菱石油は、公害防止のため140メートルの集合高煙突を建設すると発表。
8/4-
 10
厚生省・通産省・岡山県・倉敷市は、水島地区大気汚染拡散調査をおこなった。
9/1
水島地区の公害防止対策をたてるため通産省と岡山県、倉敷市は、水島地区大気汚染防止対策協議会を設置し初の会合を開いた。
10/17
岡山県は福田東干拓(C地区)の農地所有者21名を相手に土地明け渡し請求訴訟を起こした。農地所有者は、土地転用は農地法に違反し、また工場建設のために土地を明け渡すことは、公害をいっそう激化させるとして移転を拒否した。
11/16
厚生省は1966年7月の環境大気調査から水島地区の公害対策として、観測網の整備、集合高煙突、緩衝緑地帯の設置、人体への影響調査の4点をあげた。
11/1-
 15
岡山県が大気汚染防止対策として計画している集合高煙突の風洞実験が、長崎の三菱造船所でおこなわれた。この実験の結果、近い将来多数の企業が立地しても、200メートルの集合高煙突で大気汚染防止は可能であると発表。
12/1
水島工業地帯に大規模化学火災の発生を想定した初の水島地区防災訓練が、日本鉱業を中心におこなわれた。
12/12
岡山県は、倉敷市内の鴨ヶ辻山(標高285メートル)の山腹6ヶ所に逆転層観測器を取りつけた。
1968
12/01
大気汚染防止法・騒音規制法施行
2/25
公害防止倉敷市民協議会が9団体・約2万5千名の参加で結成された。
3/27
水島地区大気汚染防止対策協議会は、報告書をまとめた。それによると、「昭和50年のフル操業期を迎えても、集合高煙突により93%の亜硫酸ガスが大気拡散でき、水島全域の大気汚染濃度を0.2ppm以下におさえることができる」としている。
3/29
倉敷市が「ばい煙の排出の規制等に関する法律」による指定地域となる
4/
化成水島は、1975年までに公害防止対策として、180メートル級の超高層煙突1本を含め、総額27億円を投下する計画を立案。
5/1
水島港湾局に岡山県が設置した大気汚染測定網集中監視装置テレメーターが活動を開始。
5/6
倉敷市議会公害対策特別委員会は、岡山県企画部長の出席を求めて、中電玉島発電所の建設計画の説明をうけた。計画は150メートルの煙突と、硫黄分2.3%以下の良質重油を用いるという。
5/15-
 25
通産省、岡山県、倉敷市は水島地区上空の弱風層調査を実施した。5月17~23日には岡山県と倉敷市が共同で水島地区高層気象観測調査を実施。
5/31
福田中学校で亜硫酸ガス濃度0.64ppmを記録
7/11
倉敷市は1968年度のイ草被害について、福田町東塚を中心に水島地区外にも被害が広がっていることを発表した。
8/
公害防止倉敷市民協議会は、玉島火力発電所の設置反対、民主的な公害調査機関の設置と資料の公開、住民の納得しない企業誘致、新増設に反対する、などを要求する署名運動を開始した。
9/
岡山県、倉敷市と中国電力は玉島発電所着工で、公害防止覚え書きを交換した。
12/1
倉敷市は大気汚染防止法に定めるK値規制の指定地域となった。
12/7-
 8
日本科学者会議主催第3回公害問題全国研究集会が水島で開催された。
1969
12/15
公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(特別措置法)公布
02
硫黄酸化物の1時間値の年間平均値が0.05ppmを超えないことを主とする環境基準が定められる
3/20
倉敷市は大気汚染防止法に基づく政令市に指定された。
3/
公害防止倉敷市民協議会は前年秋から開始した公害防止に関する署名約1万1千名分を倉敷市議会に提出した。
倉敷市福田町で亜硫酸ガス濃度0.59ppmを記録
6/20
公害防止倉敷市民協議会主催の公害防止市民集会が約200名の参加で開催された。
7/15
倉敷市の委託で岡山大学公衆衛生学教室がおこなっていた水島地区の住民を対象にしたアンケート結果が倉敷市へ報告された。それによると、前年度に比較して臭気の訴えが福田地区で2倍以上になっていること、呼吸器機能疾患の自覚症で福田地区がかなり高いことがわかった。
8/19
倉敷市は呼松町に亜硫酸ガスと硫化水素の測定機を設けた。
9/5
岡山県農業試験場は、亜硫酸ガスのイ草への影響について先枯れに影響があると発表した。
10/1
水島の主だった企業49社と、岡山県・倉敷市で水島地区公害防止研究協議会が結成された。
10/8
都窪郡早島町農協は、イ草の先枯れなどで栽培面積、品質低下などのためイ草品評会を中止した。
12/25
政府は、大気汚染防止法に基づくSO2の排出基準を改正告示した。倉敷市は、コンビナートの急激な拡大が見込まれるため、現行(0.045ppm)のほぼ半分(0.022ppm)となった。
1970
11/24
公害国会(第64臨時国会)始まる。公害対策基本法など公害関連15法案が成立
3/9
三菱石油水島製油所で火災があり、重油混合装置などが焼けた。1961年の操業以来9年間に4回目。
3/11
公害防止倉敷市民協議会は、市長に対し三菱石油の火災と防災対策及び産業廃棄物公害防止で申入れをした。
4/1
倉敷市公害監視センターが竣工(現:倉敷市環境監視センター)
6/8
倉敷市議会は、今後、公害を発生させる企業の誘致をせず、既設の企業に対しても、厳重に監視するという「公害から市民を守る決議」を全員一致で可決した。
7/5
公害防止倉敷市民協議会主催の市民集会が水島中学校で開催され、すべての公害発生源に企業の責任で厳重な防止装置をつけさせること、公害を発生させる企業を誘致させないなどの大会宣言を採択した。
7/10
水島協同病院の丸屋博医師著『公害と健康―医師の記録』が出版された。
7/19
倉敷医師会は公衆衛生部会で、全市民を対象に呼吸器疾患の継続調査をすることを決めた。
8/13
倉敷水道局は、高梁川の調査をおこない、ヒ素は半減したものの、厚生省の水質基準の濁度2度以下に対し4度であったことなど、汚染が進んでいると発表した。
8/23
日本科学者会議主催の第5回全国シンポジウムで水島協同病院医師丸屋博氏は「石油コンビナートと公害」と題して講演した。
8/30
水島協同病院の丸屋博医師著『公害にいどむ』が出版された。
9/1
岡山化成水島工場が操業を開始
9/21
岡山県公害課は、全体的には大気汚染濃度は昨年を下回ったとする水島臨海工業地帯の硫黄酸化物の濃度結果を発表した。
10/27
倉敷市漁業協同組合連絡協議会は、県・市の関係者を招き、水島湾海域の汚濁対策について協議した。
11/10
倉敷市内の漁協は岡山県・倉敷市・企業・漁協の4者で各工場からの排水の水質・水温の検査をすることを申し入れた。
12/1
水島地域に係る公害防止計画が閣議決定された。大気汚染防止については、集合高煙突により亜硫酸ガスを拡散させる計画。
12/3
岡山県水産課は、工業排水のノリへの影響についての調査の結果、工業排水が水温を上げている事実はみられないとして、ノリ養殖場への影響はないと発表した。
1971
06/30
イタイイタイ病裁判被害者側全面勝利判決
07/01
環境庁が発足
09/14
中央公害対策審議会(以下中公審)発
09/29
新潟水俣病裁判被害者側全面勝利判決
3/24
倉敷市長に手紙で「公害をなくしてください」と訴えた13歳の松本千賀子ちゃんがぜん息発作により死亡した。この事件は市民の心を動かし、公害をなくす気運を高めることとなった。
4/1
倉敷市教育委員会は保健体育課に公害担当の専従職員を配置した。各小・中学校から長欠児童やぜん息などの呼吸器疾患患者などの報告を求める。
4/6
呼松・宇野津・宇頭間3地区の農民約40名は、梅の実がつかないため、倉敷市梅被害者同盟を結成する。
5/4
岡山県と倉敷市がイ草・果樹に対する公害の影響を調査し始めた。
5/8
岡山県衛生部、倉敷市、岡山大学医学部公衆衛生学教室が3年間の水島地区住民の健康調査を発表した。タン・セキ等呼吸器系に自覚症状のあるものが増加していた。
5/31
岡山県は昨年1年間の県下の工業出荷額の概算をまとめた。それによると水島工業地帯の工業出荷額は前年を42.2%上回った。
6/6
県農業試験場は、倉敷市で梅が実らぬのは、エチレンガスが原因であると発表した。
6/18
瀬戸内の環境を守る連絡会の結成総会が水島で開催された。
6/24
中国電力が総額24億円の公害防止計画をまとめた。
6/25
水島港は、海水汚濁防止法に基づく施設整備港となった。水島港へ入る船はすべて油を海に捨てることが禁止され、廃油などは廃油処理場で処理される。
7/9
岡山県教育庁のアンケートによると、県内の公立幼稚園・小・中・高校、1,078校のうち約1割の99校が騒音・大気汚染・悪臭を訴えていることがわかった。
7/15
倉敷市福田町で、水島臨海工業地帯から飛んでくる粉じんによってイ草が先枯れをおこし、収量が1/3に減ったと農家が市に対策を訴えた。倉敷市公害課は8月8日に企業に対し粉じん対策を要望した。
8/17
倉敷市は光化学スモッグ監視のため、オキシダント自動測定装置を購入した。
9/3
岡山県環境部は、倉敷市水島、岡山市両地区の工業排水検査で、水質汚濁防止法の基準を上回った違反事務所名を発表した。
9/8
岡山県環境部はイ草の先枯れは亜硫酸ガスが原因であると発表した。
9/19
中四国医師会連合医学会で水島協同病院の丸屋医師は、水島地区で肺機能障害が急増しており、特に低年齢層に多発例が目立つと発表した。
9/27
倉敷市を中心に雨が降った時にアサガオの花が脱色する現象があったため、岡山大学農業生物研究所で雨水を定量分析したところ、硫酸が55.8ppm検出された。
11/29
倉敷市は川崎製鉄㈱グループと公害防止協定を締結した。
1972
01/07
「全国公害弁護団連絡会議」結成
07/24
四日市公害裁判被害者側全面勝利判決
2/23
岡山県、倉敷市、三菱石油、日本鉱業の4者間で公害防止協定が成立した。
3/2
水島海上保安署に全国で初めて公害監視艇が配属された。
4/1
倉敷市公害防止施設改善等助成条例が施行された。
5/
水島協同病院公害委員会は、住民の手による公害実態調査として、風鈴運動(倉敷市内の500ヶ所にシンチュウとアルミの薄板をつけた風鈴を吊り下げ、その表面の変化を観察するもの)を実施した。
5/22
環境庁と関係11府県は、瀬戸内海汚染の実態を探るため、水質汚濁総合調査を始めた。
7/4
水島協同病院公害委員会は、岡山・倉敷市などで住民による風鈴を用いた公害実態調査を開始した。
8/1
倉敷市特定気道疾病患者医療費給付条例が施行された。認定対象地域を倉敷市全域とし、公害病認定患者の医療費を補償する倉敷市独自の制度。
8/14
倉敷医師会は、亜硫酸ガス濃度は、環境基準(0.05ppm)を下回る0.02ppm以下でなければならないと、岡山県や倉敷市に要求した。
9/10
倉敷市公害病友の会(のちに倉敷市公害患者と家族の会に改称)結成総会
9/16
岡山県、倉敷市と中国電力の公害防止協定が調印された。
9/21
倉敷市福田町松江地区は、地区ぐるみの集団移転を図るため、「松江地区移転促進協議会」の結成総会を開いた。


【1ビラ10第1回学習会のごあんない】
倉敷公害病友の会結成大会
倉敷公害病友の会結成大会
1973
03/20
熊本水俣病裁判被害者側全面勝利判決
10/05
公害健康被害補償法」(以下補償法)制定
11/23
「全国公害患者の会連絡会」を結成
12/10
全国公害患者の会連絡会、環境庁に「公害健康被害補償法にもとづく政令制定にあたっての請願」提出
1/10
倉敷市福田町松江地区公害対策委員会は、市公害課に水島臨海工業基地の安全点検をするよう申し入れた。
1/16
水島臨海工業地帯では連日工場災害が続発しているため、倉敷市は主要企業の代表を呼んで安全対策を強化するよう申し入れることを決めた。
1/30
川崎製鉄水島製鉄所は、総工費1,200億円をかけて内容積4,300㎥、炉底の直径14.4mの世界最大級の4号高炉の建設を進めており、5月に火入れの予定で、公害防止設備に120億円を当てている。
5/2
岡山県環境部は光化学スモッグの緊急対策会議を開き、現行の予報制度、連絡制度の検討をはじめ、主要7企業を集めて、県・市の指示に従うよう申し入れた。
5/25
倉敷市福田中学校に、大気汚染の影響とみられる目などの異常を訴える被害が多いことから、オキシダント自動測定器が据え付けられた。
6/14
水銀汚染の不安で魚が売れなくなったことから、岡山県下の49漁協の代表15名は県庁で副知事に休業補償など3項目の緊急対策を申し入れた。
6/26
水島沖の水銀汚染問題で、岡山県は水銀使用の4社と交渉した。4社は漁業補償が解決するまで操業を全面停止することに同意した。漁民は水島港で漁船約1,200隻で海上デモをおこなった。
6/28
倉敷市では午前11時50分にオキシダント予報が発令され、水島臨海工業地帯周辺で、児童・生徒計147名が目・ノドに異常を訴えた。県は12時50分、水島の大手企業9工場に硫黄酸化物の排出量の50%カットを求める初の「緊急特別要請」をした。
8/
水島協同病院公害委員会は、住民の手による公害実態調査として、バケツ運動(水島地区の40地点にバケツを配置して降下粉じんを調査するもの)を実施した。
7/2
倉敷市全域のネギが光化学スモッグのため白変、一部のカイワレが傷む等の被害が出た。
7/28-
8/4
公害病友の会は、水島地区の環境破壊によって健康被害を受けた小・中学生の心身の鍛錬と学業の遅れを取り戻すことを目的に、第1回「グリーン・スクール」を実施した。(第2回目より倉敷市と倉敷市教育委員会の後援を得て1976年まで開催)
8/7
岡山県・倉敷市と水島臨海工業地帯の化成水島グループとの間で公害防止協定が調印された。
9/1
倉敷市は悪臭防止法の指定地域となる
11/12
岡山県は国の硫黄酸化物新環境基準に基づき、水島コンビナートの各企業に排出量を配分した。1時間あたりの硫黄酸化物排出量6,500N㎥を52年4月1日までに32.8%の2,200N㎥にする。

1974
08/02
補償法の政令及び施行令公布
09/01
補償法の政令及び施行令実施
06
大気汚染防止法の改正、硫黄酸化物総量規制の導入
1/20
岡山県は水島臨海工業地帯での窒素酸化物の総量規制を4年計画で実施することにし、主要46社に排出容量を割り当てた。
1/28
倉敷市議会農林交通委員会で、県南のイ草の先枯れの原因は大気汚染であるとの岡山県の調査が発表された。これを受け市内6農協は、18億円の補償要求等の請願を採択した。
1/29
倉敷市で公害から市民や農産物を守る、倉敷3地区環境問題懇談会が開かれ、岡山県より硫黄酸化物に続き、本年度末までに窒素酸化物の総量規制を決め、後5年で完全な青空を取り戻すとの説明がなされた。住民は規制下でも起こっている被害について、県・市の対策を追及した。
3/12
三菱化成水島工場でガス排出量の規制に排煙脱硫装置を建設、1基は1975年7月に完成。2基目は1977年3月までに完成。水島地区の亜硫酸ガス排出量を1時間当り、2,200N㎥に下げる総量規制のため。
4/1
岡山県は水島臨海工業地帯での大気汚染に係る総量規制削減計画を開始した。(硫黄酸化物 2,200N㎥/H、窒素酸化物2,000N㎥/H)
4/5
倉敷市公害病友の会の代表4名は、倉敷市に対し、水島地区を公害健康被害補償法に基づく地域に指定するよう申し入れた。
4/21
公害健康被害者集会が開かれ、公害健康被害補償法の適用を早期に受け公害による健康被害者を守るための陳情・署名運動を強めること、倉敷市公害病友の会の会員を広げることが確認された。
5/2
倉敷市議会厚生委員会は、公害健康被害補償法に基づく地域指定について協議し、倉敷市全域が指定を受けられるよう、国に申請することを決定した。
7/29
倉敷市は、松江地区(119世帯)のうち集団移転を希望している116世帯を対象に移転費用のアンケート調査を始めた。
8/16
岡山県水質審議会は、県環境部の公害防止条例に基づく排水規制基準の改正案を了承し知事に答申した。これにより全県下の汚濁物質排出量はCODで約300kg削減された。
8/27
公害健康被害補償法が9月1日から施行されるにともない、公害防止倉敷市民協議会は同法の全市域指定などを目指し、9月30日までを市民運動強化月間と決め、27日から署名運動や街頭宣伝を始めた。
9/22
公害防止倉敷市民協議会主催の「公害をなくす市民集会」が水島中学校体育館で約500名が参加して開かれた。公害健康被害補償法の全市域指定や公害発生源の新増設完全中止などの決議を採択した。
11/14
l水島臨海工業地帯C地区で、岡山県・倉敷市両防災会議の主唱のもと20団体、約900名が参加し、タンカーとフェリー衝突を想定した総合防災訓練が行われた。
11/15
公害健康被害補償法に基づく地域指定のための資料とする大気環境調査が15日より、住民の健康調査が20日より水島工業地帯周辺で始まった。
12/18
三菱石油水島製油所の5万トンタンクが破裂し、約4.3万キロリットルの重油が瀬戸内海に流出した。
12/23
重油流出事故について倉敷市は、市長名で水島臨海工業地帯の90社に防災総点検を要請した。





1975
05/26
千葉公害裁判(千葉あおぞら裁判)提訴
05/26
全国公害患者の会連絡会、環境庁と国会に「公害健康被害補償法及び政令の改善等に関する請願」提出
1/26
日本科学者会議瀬戸内シンポジウムが開催され、重油流出事故について研究者や漁民代表が報告をおこなった。
1/27
岡山県環境部は、大気汚染緊急時対策要綱を決め、2月1日から実施することにした。新要綱は、これまで県南の6地域でそれぞれに実施していたものを統一、市町村に大気汚染の「予報」・「情報」の発令、解除を任せ、これに基づいて知事が工場に汚染物質の排出量削減を要請する方式をとるほか、新たに炭化水素も規制の対象に加えた。
1/31
川崎製鉄水島製鉄所の第2コークス炉ガス脱硫設備が完成した。1時間に10万N㎥のコークス炉ガスを処理し、90%以上の硫黄分を除くことができる。
4/12
倉敷市はコンビナートに隣接する松江地区住民の集団移転事業推進本部を発足させた。
5/1
倉敷市は公害健康被害補償法の地域指定に備え、公害対策部に公害保健課を新設した。
8/14
コンビナートで災害があったとき避難場所にもなる緑地公園が公害防止事業団により福田町古新田に完成した。(総面積は34.7ヘクタール)
8/18
倉敷市は水島臨海工業地帯の企業30社と災害防止協定を締結した。
8/19
環境庁の「浮遊粒子状物質汚染予想調査」が倉敷市公害監視センターなど10の測定局で始まった。倉敷市では、これまで15ヶ所の常設測定局で、水島地区を中心に市内のばいじん汚染を調べてきたが、ほとんどの測定地点で環境基準を上回っていた。
9/3
倉敷市公害患者と家族の会は、水島文化センターにおいて、公害健康被害補償法の適用と公害防止を求め倉敷市と交渉を行った。
9/13-
 14
日本科学者会議瀬戸内委員会の瀬戸内シンポジウムが倉敷市有城の山陽ハイツで開催され、重油流出事故後の影響、コンビナート防災のあり方などについて研究報告があった。
9/30
岡山県と水島海上保安部は大型タンカーの安全防災対策を目指し、三菱石油水島製油所と「大型船に関する海上安全防災協定」を結んだ。12月25日には日本鉱業水島製油所と同協定を締結。
10/26
倉敷市役所水島支所で公害健康被害者の集会が開かれ、約100名が参加した。「公害健康被害補償法の地域指定を一日も早く、できる限り広く実現すること。すでに死亡した患者を含め、過去における公害被害の完全補償を実現すること」などの大会決議をした。
11/8
倉敷西小学校で第7回「公害災害をなくせ市民大集会」が開かれ、公害病患者やサラリーマン・主婦ら約250名が参加した。大気汚染や騒音・悪臭などで環境破壊が進む倉敷市の実状について報告があった。
11/28
倉敷市公害患者と家族の会は市議会公害対策特別委員会に対し、公害健康被害補償法の一部地域指定を返上しないよう、署名9千6百名分を添えて陳情した。
12/11
倉敷市水島地区が、公害健康被害補償法の適用地区に指定された。(19日より認定申請受け付け開始)

1976
06/06
第1回全国公害被害者総行動デー、以降毎年開催。
08/30
国道43号線道路公害裁判提訴
12/21
全国公害患者の会連絡会、窒素酸化物の環境基準と補償法・政令の改善を環境庁に請願
4/8
日本鉱業水島製油所で重油直接脱硫装置内にあるガス吸収用循環ナフサからナフサが漏れ、爆発、出火。1人が重体、6人が重軽傷を負った。
4/13
水島コンビナートで1974年3月から今年4月8日まで、計18件もの事故が発生していることから、広島通産局が高圧ガス保安協会にコンビナート事故調査のため要請していた委員会が設置された。
5/14
倉敷市が川上郡成羽町に建設していた公害病患者のための保養所が完成した。
5/24
旭ダウ水島工場のタールタンクの上部通気管から有毒性のスチレン蒸気が約30分にわたって噴出、住民1人が吐き気を訴えた。工場側からの事故通報は1時間近くも遅れた。
5/27
旭ダウ水島工場の事故で、公害防止倉敷市民協議会は岡山県知事に①県独自の防災対策の樹立②防災対策への住民参加の制度化を求めたコンビナート防災対策の具体化を申し入れた。
6/15
岡山県は、水島港と岡山港の港湾計画案をまとめ、これまでの計画でみられた工業用地の埋め立て造成は、公害問題などから企業誘致が難しいとして削った。水島港では玉島地区の港西岸に約50万㎡を港湾関連用地として埋め立て、玉島港を商品流通の基地とし、水島航路についても航路幅を400mから450mに広げる。目標年次は1985年度で総工費400億円。
6/22
水島コンビナートでの大型船舶による事故を防ぐため、三菱石油水島製油所が、水島海上保安部と岡山県に海上安全防災計画書を提出した。7月31日には日本鉱業水島製油所も提出。あわ放水銃などを53年3月までに設備投資額10億円で完成させるとする。
7/16
三菱化成水島工場で大型排煙脱硫装置1基が完成、9月から本格運転する。昨年7月から運転している同型の装置と合わせ、県の水島地区亜硫酸ガス総量規制計画の割当て最終値1時間当り223N㎥(52年3月目標)を達成できる、と工場はみている。
10/6
高圧ガス保安協会水島コンビナート事故調査小委員会の報告書によると、水島地区の高圧ガス関係の事故は1966年から11件(全国では73件)、1972年以降5年間に限ると水島地区が9件で一番多い。原因は設備の欠陥によるものが多く、老朽化が直接の原因になったものはなかった。

1977
02/08
経済団体連合会(以下経団連)、「公害健康被害補償制度改正に関する意見」を政府と環境庁に提出
03/28
環境庁、「二酸化炭素の健康影響への判定条件の検討」を中公審に諮問
12/04
全国公害患者の会連絡会、環境庁に「窒素酸化物による汚染地の地域指定並びに公害地域指定解除に関する意見書」提出
3/14
岡山県石油コンビナート等防災本部は、水島コンビナートの災害を未然に防止、発生した災害の拡大を防ぐため、県石油コンビナート等防災計画案を発表した。
3/14
倉敷市は市議会環境委員会で、1974年1月から施行され、3月末で期限切れとなる水島臨海工業地帯隣接地区住居移転助成条例を1年間延長することを明らかにした。対象地区は呼松町と松江・宇野津・児島塩生の各一部で、この2月末までに61世帯が条例の適用を受けて移転した。
6/11
倉敷医療生活協同組合と倉敷公害患者と家族の会は成人患者を対象とする公害保健大学を開催した。
11/9
関東電化水島工場でトリクロールエチレン製造装置付近から熱媒油の蒸気が約20mの高さに噴き上げ、周辺一帯が鼻をつく悪臭に包まれた。住民7人と従業員1人が目まい・ノドの痛み・吐き気・息苦しさなどの症状を訴え、病院で手当てを受けた。また夕方までに住民12人が体の異常を訴えて病院で手当を受けたほか、呼松王地地区の200戸では60人が頭痛、6人が食欲不振を訴えるなど影響が広がった。

1978
07/11
環境庁、二酸化窒素(NO2)規制基準を大幅に緩和した新環境基準(日平均0.04ppm~0.06ppm)を告示
11/29
全国公害患者の会連絡会、環境庁にNO2新基準撤回を要求
2/15
岡山県は水島地域でのちっ素酸化物排出量の総量規制について、1978年度削減計画値を3,535N㎥と決めた。暫定目標値は2,000N㎥となっているが、予定していた1978年度当初達成が不可能となったため、主要13社との話合いなどを通じて計画値を作成。
2/23
県石油コンビナート等防災本部による総合防災訓練が、倉敷市児島塩生の水島コンビナートC地区工業用地と高島漁港沖海上で実施された。総合防災訓練は防災本部ができて初めて。
3/31
倉敷市水島臨海工業地帯隣接地区住居移転助成条例が廃止された。
5/14
コンビナートのオイルタンクで火災が発生した際、隣接民家への延焼を防ぐ水幕装置(ウォーターカーテン)が日本鉱業水島製油所干拓東地区第2原油ヤードに完成、放水テストが披露された。
5/25
水島協同病院はぜん息発作に苦しむ小中学生のための特別入院治療制度「あおぞら学園」を開設した。その治療方針は①発作時の対処を身に付けさせる②発作の原因を明らかにし、医学的根治療法を行う③ぜん息に関する知識を養う④アレルギー原因の排除など環境調整された場所で生活させる⑤運動訓練により体力向上をはかる⑥基本的生活習慣を身に付けさせる。これらを通じて子どもたちがぜん息発作を克服し、色々な物事に対して自信を回復していくこと目指す。(「あおぞら学園」は1989年に閉鎖)。
7/11
環境庁はNO2の環境基準を1日平均0.04~0.06ppmの大幅に緩和した。
12/15
倉敷市が「倉敷市特定気道疾病患者医療費給付条例」廃止の方針を打ち出した。これにより公害健康被害補償法の指定地域外の公害病患者は補償を受けられなくなる。市の方針に対し倉敷市公害病患者と家族の会は抗議声明を出した。
12/
水島緩衝緑地帯(第1期~第2期工事)の完成

1979
02/15
経済4団体が、自由民主党に指定地域解除を要望
06/09
第1回日本環境会議
06/
経団連、カラーパンフレット「公害健康被害補償制度を考える―大気汚染が改善されたなかで」を発行
11/09
環境庁、公害健康被害認定審査会全国会議に「6才以上のぜんそく性気管支炎患者は公害患者認定せず」の方針を提案、その後撤回
5/23
倉敷市公害患者と家族の会代表7人は、倉敷市の特定気道疾病患者医療費給付条例について、市長に条例の存続と加害企業との交渉斡旋を陳情した。また会員約600人は、水島地区公害防止連絡協議会(加盟18社)の会員である三菱瓦斯化学水島工場と川崎製鉄水島製鉄所を訪れ、面会を求めたが拒否され、川鉄前で抗議集会を開いた。
6/29
倉敷市議会本会議で、倉敷市特定気道疾病患者医療費給付条例の廃止が賛成多数で可決された。(経過措置として患者認定は8月31日まで、医療費給付は1982年3月31日まで)これに対し、倉敷市公害患者と家族の会は抗議声明を出し、条例復活や公害裁判闘争を展開していく方針を明らかにした。
7/16
岡山県南部一帯の水田で、光化学スモッグにより水稲が赤枯れ症状を起こし、その被害は約4,000ヘクタールの水田に及んでいることが岡山県農林部の調査でわかった。
8/7
環境庁は二酸化ちっ素の環境基準を達成するため全国の汚染地区をその度合いに応じて区分し対策を進めることにした。岡山市と倉敷市は、「0.04ppmから0.06ppmまでのゾーン内にある地域」としてあげられた。
9/
倉敷市公害患者と家族の会は地域指定解除反対、公害患者救済の新市条例制定を要求する3万名署名をはじめる。






1980
4/
全国公害患者会が環境庁と交渉、地域指定解除に反対する25万名分の署名を提出した。(倉敷からは3万1千名分を提出)
8/
倉敷市公害患者と家族の会は水島協同病院の協力により公害ぜん息児の水泳教室を開催した。


1981
01/
経団連、カラーパンフレット「青空が帰ってきたのに…公害健康被害補償制度を考える」を発行
05/17
「全国公害患者の会連合会」結成大会
12/11
経団連、第二次臨時行政調査会(以下臨調)に「環境行政の合理化に関する要望」を提出
06
大気汚染防止法施行令一部改正、窒素酸化物を総量規制の指定ばい煙に追加、東京・神奈川・大阪で規制実施
3/29
岡山県自治体問題研究所主催「今日における公害行政と住民運動」をテーマとする公害シンポジウムが倉敷医療生協会館において開催された
8/12-
 18
倉敷市公害患者と家族の会はぜんそく児の夏期水泳教室を開催した。会の要請により次年度より主催は倉敷市となった。
9/2
岡山県は、倉敷地区の窒素酸化物排出総量削減計画に基づいた各企業への配分割当状況をまとめた。計画では29事業所の窒素酸化物の排出総量は合計2,899.67N㎥。従来の暫定目標値2,000N㎥を改定し、緩和された国の環境基準の下限値を守ることを目標に、1985年度を目途に同地区の削減目標値が設定された。
10/18
倉敷市公害患者と家族の会は、第9回総会を開き、水島コンビナート企業を相手に損害賠償と公害物質の排出差し止めを求める訴訟の原告団を結成した。
12/11
倉敷市公害患者と家族の会の代表7名が市長に市認定公害患者に対する医療費給付の継続を求める署名と陳情書を手渡した。同会では11月17日から27日まで倉敷駅周辺で街頭署名活動を展開し、この日約1万3千名分の署名を持参した。



1982
03/18
川崎公害裁判第一次訴訟提訴
11/12
環境庁は、中公審に地域指定のあり方を全面的に見直すことを求める諮問
3/10
倉敷市公害患者と家族の会は、3月末で打ち切りになる市認定公害病患者に対する医療費給付の継続を求めて倉敷市役所表玄関で集会を開き、倉敷市長に要望書を手渡した。
3/31
倉敷市独自の公害病患者に対する医療費給付制度が打ち切られた。打ち切り時点の市認定公害病患者は344人。
5/29
倉敷市公害患者と家族の会は「倉敷から公害をなくし、市民の生命と健康、環境を守る大集会」を水島文化センターで開催し、3月末で打ち切られた市認定公害病患者の救済を要求していくことを決めた。
9/6
倉敷医療生活協同組合や労働組合総評議会、倉敷市職員労働組合などが結成した「公害市条例患者救済のための連絡会」は、倉敷市議会議長に対し市認定公害病患者の救済を約3万4千名分の署名を添えて請願した。
9/14
倉敷市議会環境委員会は、市認定公害病患者救済の請願を3対4で不採択にした。




1983
公害指定地域解除(補償法廃止)反対運動が活発に行なわれる
02/
経団連、カラーパンフレット「公害健康被害補償法を考える…大気汚染が改善されたなかで」を発行
03/14
臨調「第一種指定地域の地域指定及び解除の要件を明確にすべし」との答申
09/17
川崎公害裁判第二次訴訟提訴
11/09
倉敷公害裁判第一次訴訟提訴
11/12
環境庁は、中公審に補償法の地域指定見直しを諮問。全国公害患者の会連合会、抗議行動
1/24
倉敷市は水島コンビナートにおけるプラント新増設の審査内容を簡略化することを決め、即日施行した。これにより、1973年以来凍結されていた水島コンビナートの新規立地が、条件付きで10年ぶりに解除されることになった。
2/11
倉敷市公害患者と家族の会は臨時行政調査会の公害健康被害補償法廃止を阻止するため臨時総会(総決起集会)を倉敷医療生協会館において開催した。
3/15
岡山県は水島コンビナートに立地する企業から排出される水質汚濁物質(COD)の新排出量を日量10.657トンに設定、あわせて各企業別の排出量を決め公表した。
4/1
水島緩衝緑地帯第3期工事の一部が完成
11/9
倉敷公害訴訟第1次提訴。倉敷市内の公害患者と遺族61名が水島コンビナートの主要企業8社を相手取り、大気汚染物質の排出差し止めと16億3千万円の損害賠償を求め岡山地裁に提訴した。





倉敷公害訴訟提訴日、決起集会の様子岡山地裁へ向かうデモ行進の様子
倉敷公害訴訟提訴日、決起集会の様子と岡山地裁へ向かうデモ行進の様子
1984
公害指定地域解除(補償法廃止)反対運動が活発に行なわれる
09/20
大気汚染指定地域解除阻止第一波中央行動
2/9
倉敷公害患者と家族の会は倉敷図書館において昭和49年以降の公害被害の新聞報道記事の切り抜き作業をおこなった。これは口頭弁論時に事実に基づき被害実態を訴えていくための資料となるものであった。
3/25
倉敷公害問題第1回シンポジウム「水島工業開発とその今日的課題」が岡山衛生会館において学者・弁護士・医師・教師・患者会役員などが参加して開催された。
3/29
倉敷公害訴訟第1回口頭弁論が開催された。南方公園において倉敷市公害患者と家族の会・支援団体・全国の患者会など200名が参加して入廷前集会が開かれた。
6~8
第1回あさがお調査(岡山県の朝顔被害を観察する実行委員会、以降3年実施)
11/6
第1回あさがお調査報告会。市民参加型の朝顔による光化学オキシダント汚染調査の結果をまとめ、汚染は、倉敷市と周辺部に広がり、改善はされていないことがわかった。



1985
公害指定地域解除(補償法廃止)反対運動が活発に行なわれる
03/05
指定地域解除反対3月総行動
03/09
川崎公害裁判第三次訴訟提訴
10/28
指定地域解除反対10月総行動
2/7
倉敷市公害裁判、初の臨床尋問。「こんな苦しい思いは誰にもさせたくない」と涙ながらに訴えた木村多加志さんは、4日後の11日に急性心肺機能不全で死亡。
4/2
岡山県は水島コンビナートの窒素酸化物の排出許容量2,899.67N㎥の目標値が達成できる見通しと発表。1981年4月時点では、総排出量3,267.54N㎥だったが、最終的には、排出量2,675.08N㎥まで削減できる目途がついたとし、目標値との差224.59N㎥分は将来立地する企業のための許容量としている。
4/11
大気汚染公害指定地域解除反対岡山県民懇談会(略称公害県民懇)が県内の9団体約3万4千名が参加して結成された。
5/1
岡山県南部の空の汚れを監視する岡山県の新しい大気汚染監視テレメーターシステムが完成し運用が開始された。

1986
公害指定地域解除(補償法廃止)反対運動が活発に行なわれる
10/01
指定地域解除反対の中央行動(~10/06)
10/30
中公審は臨時総会を開き「41指定地域を全面解除、新規認定せず」との答申
11/07
倉敷公害裁判第二次訴訟提訴
12/20
内閣総理大臣、公害指定地域解除について関係自治体に意見聴取
3/1
倉敷市公害患者と家族の会の学習決起集会が倉敷生協会館で開催され、公害健康被害補償法の指定地域解除を阻止するため団結し活動していくことを確認した。
4/9
倉敷公害裁判第1次訴訟第13回口頭弁論が開かれ、原告側証人の丸屋博氏が公害病の被害について証言した。
10/22
倉敷公害裁判第1次訴訟第16回口頭弁論が開かれ、原告側証人の河野通博氏が被告企業の関連共同性について証言した。
11/7
10月30日に中央公害審議会は臨時総会を開催し、公害指定地域の全面解除を柱とする答申を環境庁長官に提出した。これに対し原告123名は倉敷公害訴訟第2次提訴をした。
12/5
倉敷市公害患者と家族の会は倉敷市議会議長に指定地域解除反対の請願書を約2万5千名分の署名を添えて提出した。



倉敷市公害患者と家族の会は市へ指定地域解除反対の請願書を提出
倉敷市公害患者と家族の会は市へ指定地域解除反対の請願書を提出
1987
公害指定地域解除(補償法廃止)反対運動が活発に行なわれる
02/13
補償法改訂法案国会に上程
05/18
全国中央行動(~05/19)
08/27
衆議院本会議で補償法改訂法可決
09/18
参議院環境特別委員会で補償法改訂法採決、成立
2/28
第2次訴訟第1回口頭弁論
4/22
倉敷公害裁判第1次訴訟第18回口頭弁論が開かれ、原告側証人の坪田信孝氏が大気汚染と呼吸器症状の関連性について証言した。
12/9
倉敷公害裁判第1次訴訟第21回口頭弁論が開かれ、原告側証人の奥田穣氏が大気汚染物質の拡散状況について証言した。
1988
03/01
補償法改訂法施行、公害指定地域解除
10/07
「地球環境と大気汚染を考える全国市民会議」(以下CASA)発足
11/17
千葉公害裁判判決で原告勝利
12/24
川崎公害裁判第四次訴訟提訴
12/26
尼崎公害裁判提訴
3/1
公害健康被害補償法の地域指定が解除された。
6/18
倉敷市公害患者と家族の会と倉敷公害訴訟弁護団主催の倉敷公害訴訟第3次提訴をめざす学習交流集会が開催された。集会には千葉川鉄公害裁判の原告や弁護団が参加し、公害をめぐる情勢認識を深めた。
9/7
倉敷公害裁判第1次訴訟第25回口頭弁論が開かれ、被告側証人の橋本道夫氏が大気汚染と呼吸器疾病の因果関係について証言した。
11/7
3月1日に環境庁が公害指定地域を全面解除したことに対し、公害裁判の意義が一層増したことを確認した原告108名は倉敷公害訴訟第3次提訴に踏み切った。
1989
03/31
名古屋南部公害裁判提訴
2/22
第3次訴訟第1回口頭弁論
4/19
倉敷公害裁判第1次訴訟第28回口頭弁論が開かれ、被告側証人の長野準氏が三疾病(慢性気管支炎、肺気腫及び気管支喘息)と大気汚染との因果関係について証言した。
5/31
倉敷公害裁判第1次訴訟第29回口頭弁論が開かれ、被告側証人の香川順氏が疫学調査に基づく有訴率と因果関係について証言した。
10/18
倉敷公害裁判第1次訴訟第32回口頭弁論が開かれ、被告側証人の前田和甫氏が疫学調査に基づく大気汚染と健康被害との因果関係について証言した。
11/25
公害県民懇を解消して「大気汚染をなくし被害者の早期完全救済をめざす岡山県民連絡会(略称大気公害県民連)」が26団体130名の参加で結成された。

1990
10/08
名古屋南部公害裁判第二次訴訟提訴
1/31
第3次訴訟第1回口頭弁論
2/28
倉敷公害裁判第1次訴訟第28回口頭弁論が開かれ、被告側証人の長野準氏が三疾病(慢性気管支炎、肺気腫及び気管支喘息)と大気汚染との因果関係について証言した。
4/23
倉敷公害裁判第1次訴訟第29回口頭弁論が開かれ、被告側証人の香川順氏が疫学調査に基づく有訴率と因果関係について証言した。
6/9
倉敷公害裁判第1次訴訟第32回口頭弁論が開かれ、被告側証人の前田和甫氏が疫学調査に基づく大気汚染と健康被害との因果関係について証言した。
7/4
公害県民懇を解消して「大気汚染をなくし被害者の早期完全救済をめざす岡山県民連絡会(略称大気公害県民連)」が26団体130名の参加で結成された。

1991
12/07
第1回アジア・オセアニア環境会議
12/17
パリNGO会議に各地の公害患者会より代表が参加
5/
倉敷医療生活協同組合は気管支喘息の自己管理のための学習会、岡山喘息大学を開校した。
5/29
倉敷公害裁判第1次訴訟第43回口頭弁論より原告本人尋問が始まる。裁判官や被告に病気の苦しみを訴えるために原告団が作成したビデオが本人尋問冒頭に上映された。原告本人尋問は平成4年7月2日まで11回にわたり、入院中の原告については病院において本人尋問が行われた。
9/
倉敷医療生活協同組合が編集したフォトエッセイ『水島の公害』が出版された。66枚の写真が水島の公害の歴史や被害の実態を伝えている。


ビデオ見つめて下さい倉敷の公害
1992
03/30
「あおぞらデーin東京・国際シンポジウム」開催
06/03
自動車窒素酸化物削減法(自動車NOX法)」公布
06/03
「環境と開発に関する国連会議(UNCED)」がブラジル・リオデジャネイロで開催。各地の患者会より代表が参加
08/10
千葉公害裁判、東京高裁で和解成立
3/3
大気公害県民連は「3・3手渡したいのは青い空、公害と環境を考えるつどい」を水島小学校体育館で開催した。
4/22
倉敷公害裁判第一次訴訟第45回口頭弁論より提訴後に死亡した原告の遺族に対する尋問が始まる。
6/
倉敷医療生活協同組合は第1回NO2測定調査を実施し、その後8年にわたり調査をおこなった。
6/
倉敷医療生活協同組合は第1回NO2測定調査を実施し、その後8年にわたり調査をおこなった。
7/2
倉敷公害裁判第1次訴訟第47回口頭弁論(原告本人尋問が終了)
8/8
大気公害県民連は「8・8地球環境と公害裁判のつどい」を労金ビルで開催した。ビデオ『見つめて下さい倉敷の公害』を上映し、裁判支援の協力を訴えた。
10/14
倉敷公害裁判第1次訴訟第49回口頭弁論が開かれ、被告側証人の梅田博道氏が公害健康被害補償法における病気の認定の実際と病因、等級の甘さについて証言した。
12/12
大気公害県民連は「12・12きれいな空気と豊かな海を倉敷公害訴訟勝利にむけての講演会」を岡山市農業会館で開催。倉敷市公害患者と家族の会をはじめ各地の公害患者や支援者約600名が参加した。

1993
11/12
環境基本法成立
4/12
5万名分の署名を岡山地裁へ提出。(その後、、6月21日に2万5千名分を、9月21日に1万8千名分を、11月26日に2万8千名分を岡山地裁へ提出。合計12万1千名分)
4/14
倉敷公害裁判第1次訴訟第51回口頭弁論(最終弁論)
6/23
第52回口頭弁論を以て倉敷公害裁判第一次訴訟結審。公判後、原告団・全国の公害患者や支援団を含む約300名が被告企業と交渉を行った。
9/22
倉敷市公害患者と家族の会の第21回定期総会と倉敷公害裁判勝利判決をめざす総決起集会が開催された。
10/22-
 24
水島協同病院において国内の美術作家の作品200点が展示され、救援美術倉敷展が開催された。会期中、倉敷公害裁判支援の募金が来場者より寄せられた。



1994
01/25
川崎公害裁判判決、企業責任を認める
03/23
倉敷公害裁判判決、全面勝訴
11/20
アジア太平洋被害者国際交流集会
12/14
全国一斉電力会社申入れ行動
1/17
大気公害県民連・倉敷公害訴訟弁護団・倉敷公害患者と家族の会の呼びかけで、県内世論を盛り上げ公害裁判を勝利させるため判決行動実行委員会を岡山市勤労者福祉センターで結成。(4月19日の報告会を以て解散)
3/23
倉敷公害訴訟原告勝利判決が言い渡された。被告企業の加害責任を全面的に認め、企業間の共同不法行為を明確に認めるもの。また、全ての原告を公害患者と認定し、二酸化硫黄・二酸化窒素・浮遊粉じんを含めた複合大気汚染の健康への影響を認めた。判決後、原告交渉団は被告企業との深夜におよぶ交渉により謝罪と早期全面解決に向けた継続交渉などの確認書を勝ち取った。
3/30
被告企業は広島高裁岡山支部へ控訴
4/4
原告は広島高裁岡山支部へ控訴
4/21
環境庁野村瞭保健部長が水島を視察に訪れ、患者の自宅を訪問した。
7/27
倉敷公害裁判2次・3次訴訟合併審理開始。全国の公害裁判原告団・支援団体・公害患者約130名が参加して岡山市の南方公園において開廷前集会が開かれた。
7/28
倉敷市公害患者と家族の会・弁護団・支援者約150名は三菱化成・旭化成に早期全面解決の話合いを求めるが、交渉を拒否される。
12/7
2次・3次訴訟原告本人尋問
12/15
倉敷市公害患者と家族の会・支援者・弁護団の21名が中国電力広島本社と交渉を行った。14日に大阪西淀川公害裁判の被告企業である関西電力に対し、全国の公害裁判原告団らが電力会社へ早期解決を要請した動きに呼応するもの。中国電力に関西電力へ裁判の早期解決を決断するよう働きかけることを要請した。倉敷公害裁判については被告8社の交渉窓口設定へ働きかけることを約束した。







倉敷公害訴訟勝利判決報告集会の様子倉敷公害訴訟勝利判決報告集会の様子
倉敷公害訴訟勝利判決報告集会の様子
1995  
3/16
倉敷公害裁判第1次訴訟控訴審第1回口頭弁論が行われた。控訴審後、原告団は倉敷医療生協・労働組合・民主団体・全国の患者などの支援者約250名とともに川崎製鉄と交渉を行った。
4/26
大気公害県民連は第3回総会を開き、倉敷公害裁判の9月全面解決に向けて「解決運動推進委員会」を設置し、30万署名運動に取り組むことを確認した。
7/29
倉敷公害訴訟弁護団・倉敷市公害患者と家族の会・大気公害県民連の代表20名が参加して倉敷公害訴訟解決運動推進委員会の初会合が岡山青年会館で開かれた。
9/2
第2・3次訴訟の署名8万名分を岡山地裁へ提出。(その後、10月16日に7万名分を、1996年1月8日に3万5千名分を岡山地裁へ提出。合計18万5千名分)
9/10
倉敷において大気全国連絡会議(各地の大気公害裁判を闘っている弁護団・患者会が約2ヶ月毎に裁判及び運動面につき情報の交換、方針の討議を行うもの)が開催された。
11/8
大気公害県民連による「水島再生プラン」発表会が水島公民館で開かれ、会員や支援者約150名が参加した。
11/16
倉敷市公害患者と家族の会・原告弁護団・全国の公害患者や県内の支援者は川崎製鉄正門前で早期解決集会を行った。
12/6
「水島の街づくりシンポジウム」が倉敷市役所水島支所で開催された。11月8日に発表された「水島再生プラン」について専門家と住民が討議した。






水島サティ前において署名活動
水島サティ前において署名活動
岡山天満屋前において署名活動
岡山天満屋前において署名活動
1996
03/07
川崎公害裁判判決
05/31
東京公害裁判提訴
12/01
京都でCOP3始まる
12/25
川崎公害裁判が企業と和解
12/26
倉敷公害裁判が企業と和解、全面解決
2/9
倉敷市公害患者と家族の会・原告弁護団・全国の公害患者や県内の支援者は被告6社と早期解決を求めて一斉交渉を行った。川崎製鉄へは4万名分の早期解決の署名を提出し、中国電力社長へは早期解決を要請するハガキを送付した。
2/26
第1次訴訟の署名5万5千名分を広島高裁岡山支部へ提出
3/23
判決2周年総決起集会(倉敷医療生協会館)
4/20
水島公民館において公害病死没者への追悼式が開かれた。全面解決をみることなく死亡した1,416名の冥福を祈る。
5/21
倉敷市公害患者と家族の会・原告弁護団・全国の公害患者や県内の支援者約1,500名が参加して、川崎製鉄正門前において倉敷公害裁判の全面解決を求める「あおぞら行動」が行われた。川崎製鉄より謝罪と今後新たな覚悟で誠意をもって話合いをし、本件訴訟が一日も早い全面解決に至るよう努力しますとの回答を得た。
11/19
倉敷公害裁判第1次訴訟控訴審口頭弁論開催、今回で第1次控訴審の証拠調べや証人尋問がすべて終了した。
11/20
倉敷市公害患者と家族の会・原告弁護団・支援者ら約150名が、倉敷公害訴訟の年内解決へ向けて主要被告企業6社と交渉をおこなった。
12/26
倉敷公害裁判は、13年目にして被告企業と和解が成立し、全面解決する。






あおぞら行動あおぞら行動
あおぞら行動
和解確認式和解確認式
和解確認式
和解確認集会
和解確認集会
1997
06/09
「環境影響評価法」成立
12/07
地球温暖化防止京都会議(COP3)市民集会
7/5
倉敷市公害患者と家族の会が中心となってつくった水島のまちづくり実行委員会は「環境保全でコンビナートと共生する水島のまちづくり」シンポジウムを開催した。
8/4
水島のまちづくり研究会が開催された。7月5日に開催されたシンポジウムをうけて、今後の街づくりの研究とその具体化について話し合われた。
9/
倉敷医療生活協同組合は瀬戸内海沿岸調査を実施した。(その後4年連続で実施)




1998
08/05
川崎公害裁判2~4次地裁で勝利判決
08/18
川崎公害裁判、国が控訴
10/16
東京裁判第4次訴訟提訴
11/27
アジア太平洋NGO環境会議
4/11
水島まちづくり実行委員会は「パートナーシップによるコンビナート地域の再生」事業の講演会(まちづくり講演会)を開催した。
4/17
環境庁の瀬戸内海環境保全審議会が「瀬戸内海における新たな環境保全・創造施策のあり方」について一般からの意見を募集するため、瀬戸内海環境審議会小委員会が高松で開催された。
6/30
倉敷公害訴訟で争点となった「医学的因果関係」論争の経過と内容などをまとめた医師たちの記録『真実が勝った日』が出版された。
9/5
水島まちづくり財団(仮称)設立準備会発足
10/9
環境庁の瀬戸内海環境保全審議会において「瀬戸内海における新たな環境保全・創造施策のあり方について」の環境庁長官の諮問について答申の骨子案が発表された。今後の瀬戸内海の環境問題に対して、環境庁としての施策の基本を示すもの。




1999
02/1
尼崎公害裁判、被告企業と和解
05/20
川崎公害裁判、国・道路公団と和解
3/13
水島まちづくり財団準備会主催により、水島コンビナート地域の環境再生を主題とする「足もとから地球環境を考える第1回地球学校」がライフパーク倉敷において開催された。
4/20
倉敷市は倉敷市環境基本計画策定協議会・検討会を設置した。
6/1
倉敷市は倉敷市公害対策審議会と自然環境保全審議会を統合し、倉敷市環境審議会を設置した。市民から公募の3名を含む20名の倉敷市環境審議会委員は環境基本条例に盛り込む事項、環境基本計画素案について4回にわたり審議を行った。
6/19
水島まちづくり財団設立準備会主催による第1回八間川調査が開始される。八間川再生を水島の環境再生・まちづくりのシンボルとするもの。市民参加の調査が毎年行われている。
9/
水島まちづくり財団設立準備会主催による第1回水島の樹木の二酸化炭素吸収調査が行われた。水島コンビナートの二酸化炭素の排出量と比較する調査研究。
12/22
倉敷市環境基本条例が制定された。環境の保全について基本理念を定め、市、事業者及び市民の責務を明らかにするとともに、環境保全を総合的かつ計画的に推進し、現在及び将来の市民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。



2000
01/31
尼崎公害裁判、国・道路公団に勝利判決
03/14
財団法人水島地域環境再生財団(みずしま財団)設立
06/08
全国公害患者の会連合会、環境庁長官に補償費引き上げ要求書を提出
11/27
名古屋公害裁判、国・被告企業に勝利判決
12/08
尼崎公害裁判、国・道路公団と和解
2/8
倉敷市環境基本計画が策定された。倉敷市環境基本条例に基づき、環境の保全と回復及び創造に関する施策を、将来にわたって総合的かつ計画的に推進していくための基本的な指針となるもの。
3/14
倉敷公害裁判の解決金の一部を拠出して、公益財団法人水島地域環境再生財団(みずしま財団)が設立された。環境再生活動・公害被害に関わる体験や教訓を活かす活動・環境学習、環境保健活動等支援事業を推進する。
4/
みずしま財団は記録映画『水島に生きる』を作成した。
6/1
倉敷市は環境保全推進本部を設置

2001
01/06
環境庁、環境省へ機構改革
06/
自動車NOX・PM法成立
08/08
名古屋南部公害裁判、国・企業と和解
4/1
岡山県公害防止条例の事務取扱が倉敷市に委任される(現:岡山県環境への負荷の低減に関する条例)
5/
みずしま財団は記録映画『海のわかれ』『公害は終ったのか』を作成した。

2002
10/29
東京公害裁判1次判決
11/08
東京公害裁判国が控訴
11/12
東京公害裁判原告が控訴
4/1
倉敷市はダイオキシン類対策特別措置法及び瀬戸内海環境保全特別措置法の政令市となる
8/24-
9/6
みずしま財団は英語版記録映画『MIZUSHIMA』を作成した。


2003  
4/1
水島港は特定重要港(国際海上輸送の拠点として特に重要な港)に政令で指定される
6/27
倉敷市と市民による「第1回環境月間における倉敷市との懇談会」が開催され、以後毎年開催される。
8/18-
9/3
みずしま財団は「水島環境再生展」を倉敷市役所水島支所と水島公民館で開催した。
9/28
みずしま財団は「公害健康被害補償法制定30周年記念シンポジウム」を水島国際ホテルにおいて開催した。

2004  
2/
倉敷市は倉敷市地域省エネルギービジョン(水島コンビナートエネルギー有効利用方策調査)を策定

2005
10/
みずしま財団は『公害死亡患者遡及調査』を発行した。倉敷公害訴訟に参加した水島協同病院の医師を中心とした研究班が和解後5年をかけてまとめあげた公害患者の記録。1976年から2000年までの25年間に水島協同病院で亡くなられた公害健康被害補償法の認定患者501例を対象に調査が行われた。

2006
09/28
東京公害裁判1次高裁控訴審結審
12/3
倉敷市公害患者と家族の会は判決10周年記念事業として倉敷公害訴訟和解10周年の集いを開催し、記念誌と記録映画を作成した。

2007
07/02
東京公害裁判、企業と和解
3/
倉敷市環境基本計画改定。

2008  
9/20/
 -22
日本環境会議水島大会開催

2009  
2010  
2011  
2012  
4/
倉敷市環境学習センターが開所し、館内には環境展示パネル(水島の地域開発と公害の歴史)が設置されている。
2013